今月頭には仙台に行って全国大会とか観てきたりしたんですが,それはそれでまた書くとして。今日は中高の後輩みきと焼き肉デートしてきた話でも。
みきは大学からずっと東京で,2学年差だから社会人としては3年先輩になる子。
なんだか気になり続ける子で,年に1回は焼き肉デートをして,お互いTOKYO砂漠を生き抜こうと励まし合っている感じ。
基本的に私はカサハラリカ活動をしていることを自分の口からは言わなくて,見つかってバレたら観念しているのだけど,みきは私が高校生の時から,私がカサハラリカなことを知っている。多分。なのでカサハラリカとして動いていることもオープンにできる貴重なひと。ありがたや…。
「みきんちって誰が家継ぐの?」
『まだそういう話はしてないです。リカ先輩の家は?』とか,
『この仕事してて65歳までにいくら必要かとかわかるようになりました』
「年金もらえるのかねー」とか,
「私退職金出ないから生命保険で積み立ててる。社会人2年目の時に入った」
『あ。私も生命保険入ってます』とか,
「もし松本に戻るなら,私マンションでいいわ」
『あぁ~…』とか,
だいぶまぁ生々しい話というか,アラサーらしい話をしてきました。笑
初めて出会ったのは,私が14,彼女が12歳の時だって言うのに。【演劇ぶっく】を回し読みして,それだけで幸せだった時代はとっくに過ぎてしまった。
それでも,変わらない部分もあるというか。
例えば10年以上も前のことなのに,私達が県大会の時に負けた相手の学校名やタイトルがすらっと出てくるあたりなんかは,悔しい気持ちが根底にあるんだろうな。
「もしあの時 関東大会に行けていたら,私こんなことしてなかったと思う。」
と自分で言ったのにはちょっとびっくりというか,薄々解っていたけどそれを言語化させたのはみきさんと私の作用によるものだから,やっぱり彼女には何かしらの引っ張るものがあるのだと思った。
「だから,来年長野県に全国大会が回ってくるんだけど,それで最後かもね。それかその次の長野県でやる関東か。あ。いや先生の定年かな。」
『それっていつなんですか』
「あー。あとちょっと,だと思う。」
ついでに私達の先生が定年の時には,ブエナビスタとか借りてパーティーしたいこと,私の学校のひとも,次に異動した学校のひとも,さらにその次に異動した学校のひとも,みんな一緒にやりたいとあっくんと話してることも伝えた。
『いいですね』
「でしょ」
私達は東京にいたい。
中学と高校とお芝居をしていたから,きっと東京に出たくなってしまったのだと思う。
みきが,
『もし長野県からでなかったら,どうなっていたんでしょうね』
と言っていたけど,そんなの考えられなかった。例えば私は高2から生活の仕方を変えなかったら,今よりもっと,自分を自分で潰して,ネガティブな感情に溢れていたかもしれない。高2,3年の時は,学校の大人達が大人として親役割を担って,私を守ってくれていたんだろうと思う。それでよかったし,そうでなければだめだった。多分。そんなことも思い返していた。
でもなんとなく,もう守ってくれなくていい気がする。守ってくれたものに,頼らなくても。
それが来年になるか,再来年になるか,いつになるかはわからないけど。
『リカ先輩は40歳とかになっても観てるのかと思いました』と言われて,
「それはやめて」と返した。
いろいろ話せて,心の中の整理ができた感じ。
また1年とか経ったら,みきに会って自分が今どこに向かってるのか確認しよう。
久しぶりに叙々苑行ったらステーキランチになっていた!