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Wednesday, April 22, 2020

『どんなときでも食べ抜く元気術 サバイバルクッキング』の思ひ出

ごきげんよう。カサハラです。

前回お話していた“地震への恐れ”というやつ…!

たぶん,この本を小学校低学年の時に読んでいたから!というところに辿り着きました。


これ,著者で神戸在住の坂本広子さんが阪神淡路大震災の経験を元にした料理&生き抜き術の本なのですが…

小学生の頃,大きな休みの前になると図書の注文袋というものが学校で配られて,お金を入れて出すと本が買えるというシステムがありまして…(今もあるのかな?)
それで買ったやつなのでした。なぜこれにしたかは覚えていないけど。

この本が心の奥底にあったのですな…。
地震の恐ろしさや,日々の備えの大切さを低学年ながらにじんわり感じていました。

もう絶版かと思いきや,Amazonでふつーに新品が出てたので即ポチ☆
また読めるの嬉しいなぁ…(*´ω`*)

Sunday, August 20, 2017

いつまで続けるのか問題。

ごきげんよう,カサハラです。

今月頭には仙台に行って全国大会とか観てきたりしたんですが,それはそれでまた書くとして。今日は中高の後輩みきと焼き肉デートしてきた話でも。

みきは大学からずっと東京で,2学年差だから社会人としては3年先輩になる子。
なんだか気になり続ける子で,年に1回は焼き肉デートをして,お互いTOKYO砂漠を生き抜こうと励まし合っている感じ。

基本的に私はカサハラリカ活動をしていることを自分の口からは言わなくて,見つかってバレたら観念しているのだけど,みきは私が高校生の時から,私がカサハラリカなことを知っている。多分。なのでカサハラリカとして動いていることもオープンにできる貴重なひと。ありがたや…。

「みきんちって誰が家継ぐの?」
『まだそういう話はしてないです。リカ先輩の家は?』とか,

『この仕事してて65歳までにいくら必要かとかわかるようになりました』
「年金もらえるのかねー」とか,

「私退職金出ないから生命保険で積み立ててる。社会人2年目の時に入った」
『あ。私も生命保険入ってます』とか,

「もし松本に戻るなら,私マンションでいいわ」
『あぁ~…』とか,

だいぶまぁ生々しい話というか,アラサーらしい話をしてきました。笑
初めて出会ったのは,私が14,彼女が12歳の時だって言うのに。【演劇ぶっく】を回し読みして,それだけで幸せだった時代はとっくに過ぎてしまった。

それでも,変わらない部分もあるというか。
例えば10年以上も前のことなのに,私達が県大会の時に負けた相手の学校名やタイトルがすらっと出てくるあたりなんかは,悔しい気持ちが根底にあるんだろうな。

「もしあの時 関東大会に行けていたら,私こんなことしてなかったと思う。」

と自分で言ったのにはちょっとびっくりというか,薄々解っていたけどそれを言語化させたのはみきさんと私の作用によるものだから,やっぱり彼女には何かしらの引っ張るものがあるのだと思った。

「だから,来年長野県に全国大会が回ってくるんだけど,それで最後かもね。それかその次の長野県でやる関東か。あ。いや先生の定年かな。」
『それっていつなんですか』
「あー。あとちょっと,だと思う。」

ついでに私達の先生が定年の時には,ブエナビスタとか借りてパーティーしたいこと,私の学校のひとも,次に異動した学校のひとも,さらにその次に異動した学校のひとも,みんな一緒にやりたいとあっくんと話してることも伝えた。

『いいですね』
「でしょ」


私達は東京にいたい。
中学と高校とお芝居をしていたから,きっと東京に出たくなってしまったのだと思う。

みきが,
『もし長野県からでなかったら,どうなっていたんでしょうね』
と言っていたけど,そんなの考えられなかった。例えば私は高2から生活の仕方を変えなかったら,今よりもっと,自分を自分で潰して,ネガティブな感情に溢れていたかもしれない。高2,3年の時は,学校の大人達が大人として親役割を担って,私を守ってくれていたんだろうと思う。それでよかったし,そうでなければだめだった。多分。そんなことも思い返していた。

でもなんとなく,もう守ってくれなくていい気がする。守ってくれたものに,頼らなくても。
それが来年になるか,再来年になるか,いつになるかはわからないけど。

『リカ先輩は40歳とかになっても観てるのかと思いました』と言われて,
「それはやめて」と返した。


いろいろ話せて,心の中の整理ができた感じ。
また1年とか経ったら,みきに会って自分が今どこに向かってるのか確認しよう。

久しぶりに叙々苑行ったらステーキランチになっていた!

Tuesday, December 13, 2016

No Title

加古隆の「パリは燃えているか」とか「黄昏のワルツ」とか聴くと,高校や大学の冬を思い出す。あの寂しくて切ない気持ちになっていた冬。

「パリは燃えているか」は『映像の世紀』で。
高3の世界史は12月くらいから,ずーっとそれだけ観てた。
ノロウイルスにやられて,でも保健室に行って欠課になるのは嫌で,視聴覚の後ろで横になりながらビデオ観てたとき。昼食の時間に視聴覚まで迎えに来てくれたのはやっちゃんだった。

「黄昏のワルツ」はフィギュアスケートの全日本選手権で村元小月がSPの曲で使ってた。現役最後くらいのSP。このひとのことはよく知らなかったけど,雰囲気に合ってる曲だと思った。
年末で,ひとりでフィギュア観てて,一年の終わりを感じて,なんとも言えない気持ちになるプログラムだった。


そういう曲を聴きながら出勤している。
音楽はスポンジ。
あの時の気持ちは,やっぱりとてつもなく,私を私にしている感情だった。

Sunday, December 4, 2016

『ブルーシート』から1年。

2016年の手帳をめくり返すと,いちばん最初のページが2015年12月。

去年のちょうど今頃は,フェスティバルトーキョーで『ブルーシート』を観に行った。(感想自体はそっちへ…。)


2015年の1月に静岡の高校がやっていたのを観たのがこの作品との出会いで,作品を作った時の元々のオリジナルキャストが大人になって再演したのが12月に観たものだったのだけど,結構しょっぱなから私はぼろぼろと泣きながら観てしまって。

お芝居で泣くことは稀で。プロの舞台でも高校演劇でもなんでも。
なのにこんなにボロ泣きしてしまったのはなんでなんだろう。

きっと当時の,私の心境でそれに触れることで,揺さぶられたものがあるのだと思う。


もしかしたら私は,もうあんなふうには泣けないんじゃないかと思う時がある。










いつか載せようと思って載せそびれていた写真。

終演後,撮影できるところだったので,パシャパシャ撮らせていただきました。

会場は中学校の廃校だったけど,奥に生きてる高校があったのがたまらなかった。途中チャイムが聞こえたりなんかして。




孤独や寂しさに鈍感になってしまった今,不安定な安定を欠いてしまった今,
あの感情は実はとても愛しいものだったんじゃないかという気がしている。
あんなに,あんなに私を漠然とした絶望に包んでいたくせに。
それでもあれはきっと,私を私としてたらしめているものだったんだろうな。

そんな気がしている。


Friday, November 25, 2016

ブックマーク2。2016冬。

ごきげんよう。カサハラです。

冬ですね。

冬は冬の歌が聴きたくなります。
音楽はスポンジ。その時の,気持ちとか,温度とか,そういったものをぶわーっと吸い込んで,また聴くときにぶわーって出てくる。


この時期特に聴いてるもの。

①島谷ひとみ『男歌』
2007年の12月くらいに手に入れたCD。
男性アーティストの名曲のカバーアルバム。
「レイニーブルー」とか「言葉にできない」なんかが好き。「レイニーブルー」は他のアーティストのカバーなんかも聴いたりするけど,艶っぽさというのだろうか。そういうのはこの人に敵わない。
何より当時の私の気持ちを苦しいくらい歌い上げてた曲なので,とにかくスポンジ。(語彙)

②RURUTIA『Chorion』
2006年の,これも12月。年末に,京都のタワレコで買ったな。
メジャーからインディーズに移行してから初めてのアルバムで,すごい気合いが入ってた。
高3の3学期,進路が決まっている嬉しさよりも,高校3年間をどうまとめるかの方が課題だった私は,「願いの届く日」や「星に花,灰色の雨」なんかを聴いて,寒くてつめたい気持ちを味わってた。気がする。


あの気持ちは,どこにいったんだろう。
冬になると抗えない波のように押してくる,びったびたに浸かってしまうあの気持ち。

なくなったというよりは,きっと堆積していて,心のどこかで燃料にでもなっているんだろう。


そんなことを考えている金曜日です。
ちなみに今はブックマークをシャッフルして聴いていて,中島美嘉の「雪の華」が流れています。
発売当初はそんなに好きじゃなかったけど,今はその時よりも私の中で評価が上がりました。笑


じゃ。いってきまーす。

2007年の冬に撮った一枚。
12月になってもこんなに葉っぱが残っていることにびっくりしてたあの頃。

Thursday, September 29, 2016

No Title

芝居をしていたからだと思う。

高校生の時,自分の存在が,

嬉しいとか,楽しいとか,苦しいとか,つらいとか,悔しいとか,

誰かの感情の元になっていると思うと,不思議な気持ちになった。

揺さぶられて生きているのだと思った。




そんなことを思い出す9月の終わり。


この夏食べたおいしいものシリーズ。
二子玉でいただいた「大人様ランチ」。
ネーミングすてきすぎる。

Monday, June 20, 2016

AKB48の選抜総選挙で思い出すこと。

そういえば,土曜日はAKB48の総選挙でしたね。

私実はこれが毎年気になってます。第2回から。


第2回は2010年の6月。
私が学校近くのレオパレスを借りて教育実習をしてる真っ最中でした。

朝,高校へ行く準備をいそいそとしていたとき,ズームインスーパーのエンタメのコーナーで,ストレートヘアの女の子が「背中を押してくれとは言いません。ついてきてください。」と涙目でスピーチしているVTRを何度も見て。
それが大島優子でした。あとで彼女は私と同い年だと知りました。

教育実習で一人奮闘している中,AKBはAKBで選挙をやっていて,努力が結果としてフィードバックされているのをテレビ越しに見て,なんだか励まされたような気がしたのでした。

それ以来,総選挙はなんだかどきどきして気になってしまう。CDは買ったこともないし,投票もないけど。


大島優子もとっくに卒業したし,私が好きだったメンバーはもうほとんどいないけれど,なんだかあの頃の非日常の3週間を思い出す。私にとっての総選挙は,そういうものなのです。



はー。3月に開いた当時顧問のお疲れさま会の打ち上げで,大人メンバーに入っていたあの子ももう22歳とか,本当に本当に信じがたいのだが。あの子が22ということは,私が世界史を教えてしまった子達は皆22じゃないか。どんな大人になっているのだろう。あの子達の中で,今年教育実習に母校の高校に行く子とか,いるのだろうか。

もし私が職業として教壇に立つことがあったら,あの時よりもう少し,うまくやれるだろうなぁ…とも。

そんなことをふわふわと考えています。

これは実習から1ヵ月して,文化祭にお邪魔したときに。
あおぞら。

Thursday, May 12, 2016

昨日も今日も。

22時前に寝落ちして,夜中の3時くらいに覚醒して,眠れなくなっている。なんたる悪循環。

昨日は眠れないから,もう今度の県大会のこととか,考えていた。

いや県大会のことと言うよりは,土地のことだ。塩尻の,国道19号と20号がぶつかるあの交差点のあたりとか,そんなこと。


たまに,もう二度と会うことはないであろう人のことを思い出したり,考えたりすることがある。


例えばK先輩のことだ。

高校で,唯一,本当に唯一,演劇部じゃない先輩で私のことをかわいがってくれた。

廊下や階段で会うと「かうちぽてとー!」と呼んでくれた。なぜかうちぽてとなのかは謎だった。だけど無邪気に呼んでくれる行為そのものが,私はとても嬉しかった。

なんかもう今は演劇部には関わっていないから良いかなと思うのだけど,先輩は当時演劇部の副顧問の彼女で(おやおや),私も副顧問とはあれこれ話せる仲だったので,大学生になって初めてのGWに,夜3人であのあたりをドライブ したり,プリクラとか撮ったことがある。国道19号と20号がぶつかるあのあたり。


副顧問とはその後も何度か会っていて,K先輩とは音信不通になってしまったことを教えてもらった。
今彼は別の方とご結婚されて,マイホームも建てて,お子さんにも恵まれ,とても幸せそうだ。
私も彼みたいに,時間がかかっても幸せな結婚がしたいと思った。いや,できればそこまでかけなくてもいいかも。だけど幸せな結婚っていいなぁと,この人の結婚報告を受けたとき私の人生の中で初めて思った。笑


K先輩は今どこでどう生きているのだろうか。
バイトしていたというステーキ屋さんもとっくに潰れてしまった。
どこで,どう生きているのだろう。
そんな途方もないことに思いを巡らせて,余計に眠れなくなっている。


でもってこの文章を書きながら気づいたわ。
私,高校の男友達が一人もいないのって副顧問がいたからだわ。←男の同期や男の先輩は同期や先輩であって,決して友達ではない。笑
同い年と喋るより大人と喋る方が断然面白かったもんなぁ。

なんかやっぱ部活漬けだとこんなにも交遊関係が狭くなるのねぶるぶる…。笑
まぁ後悔はしてません…。



そんなことを考えてたら,あっという間に4時ですよ。新聞来るかなと思っていたら,今来ましたよ。

そういえば新聞と言えば(とまらない思考),昨日?一昨日?父がわざわざ新聞に名前が載ったと家族のグループLINEに報告してきたな。そうですか。載るんですね。載るもんなんですね。信毎なのかな?

でも次女は部活関係で名前も写真も載ったことあるもんね!笑  高校生の時だけどね!  中日だけどね!笑
良き思ひ出です…。


さてもう一眠りできるかな。
今日は朝通院だから,いつもより遅く起きていいから。

おやすみなさい。また明日。

Monday, February 1, 2016

1月14日のできごと。

もう半月前のことになりますが,

赤い修正液ちゃんの働くお店に,まっちょと共に行ってきましたー。

最近,中学時代の友達に会えることが多くて嬉しいです。


(赤い修正液?まっちょ?ってなるそこのあなたは「このブログに出てくるひと」をご参照あれ。)


修正液ちゃんが新宿はゴールデン街のバーで曜日ママをやっていることはちょっと前から知っていましたが,みなとくんはしょっちゅう行っているということを知りうらやましくなり(笑),まっちょに「行かない?」って誘ってみたら『いくいくー♡』ってなったのです。

本人には内緒で,14日の当日,仕事帰りに新宿へ。まっちょとゴハンを食べて,いざ新宿ゴールデン街!


初めて行きましたが,外国人の観光客の方がいっぱいでびびりました。
後で知ったのですが,今外国人向けの観光ブックでは渋谷のスクランブル交差点よりもゴールデン街がプッシュされているようです。ほえー。


若干迷いましたが,お店にとうちゃーく!修正液ちゃん,「えぇぇぇぇえええーーーーーっ」って,びっくりされておられました。笑
でも喜んでもらえたー。わーい。うれしいうれしい。

21時半くらいにお店に行って,24時くらいに私達以外のお客さんが帰って,表をしめてもらって。
そこから26時半くらいまで,中学時代のこととか,高校時代のこととか,いっぱいくっちゃべりました。

知らなかった。あの子が,そんな思いをしていたなんて。



不登校になったり,ごはんが食べられなくなったり,家族でたいへんな思いをしたり,
私達はいろいろなことがあったね。


ということがよくわかった夜。

それでも,


今こうして,たとえボーナスがなくても,アルバイトでも,東京で,親元を離れて,働いていること,生きていることがスゴイよ。私達。
がんばって生きてるじゃん。


ということがよくわかった夜。




私は,修正液ちゃんが高校の途中で部活を辞めたの,私のせいじゃないかとどこかで思っていた。

だから苦しくて,話しかけるのも怖くて,同じ講座だったのに全然喋らなくなった。

だけどそうじゃなかった。そんな次元の話じゃなかった。

でもって,「あのひとが担任じゃなかったら,私今頃引きこもりだったかも。とにかく就職しろと,先生がいろいろ言ってくれた。」と,彼女にとっての担任,私にとっての顧問の話をしていた。

そうなんだ。今度会ったら,それ伝えてあげようと思ったけど,未だ果たせずにいる。
ただの演劇部の顧問じゃなかったんだなと再認した。笑





お金ないけど,

大人になってよかった。

自分を自分でコントロールできるというのは,

とてつもない自由だ。

孤独はつきまとうけれど,とてつもない自由だ。

私達は,親元を離れて,地元を離れてこそ,生きていける。気がした。



26時半にタクシーを拾って,まっちょと二人で乗って,先に彼女を下して,私の住むエリアまで30分。3時半くらいに眠りに就いて,6時に起きて,7時半過ぎの電車に乗って出勤できた私えらいと思う。笑

「遊んだ」と言うにはキャピキャピ感など皆無だったけど,とても濃い,忘れられない夜だった。
そんな1月14日。木曜日の夜。

赤い修正液ちゃんが書いてくれたでんぴょー。「リカ 様」って書いてくれました。わーい。

Sunday, September 27, 2015

サーモンピンク。

サーモンピンクは,

私の憧れの色だった。

中学生のとき入りたかった高校の演劇部がよくその色でパンフレットを作っていたから。


無事その高校に入って,パンフレットの話になったとき,顧問の先生に聞いたことがある。なんでこの色なんですかと。

顧問は,暗がりでも見やすいから。それに見てて明るい気持ちになるじゃん。みたいなことを言っていた…。気がする…。

私が現役のときも,文化祭や自主公演ではほぼその色を使い倒していた。

憧れの色だったけど,当時の私は青や黒が好きだった。



昨年の初春。修論発表会のあと,M1さんがお疲れ様の飲み会を開いてくれて,修了記念でM2の私達に印鑑ケースをプレゼントしてくれた。ふつーの印鑑と,訂正印が一緒に入れられる,ちょっと大きめの印鑑ケース。

一人ひとり色が違って,私のケースはサーモンピンクの色だった。

わぁ。

なんだかとても嬉しかった。



そして先月。職場の先輩が退職されるとき,同僚の私達にミニ風呂敷をプレゼントしてくれました。
それぞれのイメージカラーで選んでくださったそうなのですが…

……!!!

さささ,サーモンピンク!


みんな同じタイミングでもらって,同じタイミングで開封したのだけど,青色の先輩,クリーム色の先輩,モスグリーンの先輩なんかがいて,あぁわかる~と思ったのだけど,私がこれを取り出すと「あー,うん。」「だよね。」という声。。。笑

うわーん(; ;)

サーモンピンクが好きだなんて今まで言ったことないのに。
いろんなピンクの中でもサーモンピンクを選んでもらえるとはー!


嬉しいのであります。はい。憧れの色をイメージしてもらえたなんて思ってもらえたら,そりゃ嬉しいのであります。



という,サーモンピンクのはなし。

ミニ風呂敷,何に使おうかなぁ。

ちなみにやっぱり今でも青が好きで,ボールペンや携帯のケースは,青や水色を使っています。
憧れの色とは,そういう距離感です。

Tuesday, September 22, 2015

遠い日の思い出。

私が中学2年生のときのことです。

顧問の先生と部員何人かで,近くの文化会館へお芝居を観に行きました。

帰りにラーメン屋さんに行き,餃子を頼みました。

カサハラさんはお家の手伝いをほぼしないだらだらニンゲンだったので,餃子のたれは餃子のたれとして食卓へ上がっていました。顧問の先生に教えてもらって,そこで初めて餃子のたれの作り方を知りました。

そして半月後。秋の文化祭に向けて台本を決めようとなったときのことです。

先生はあの,文化会館で観たお芝居をやろうと提案してきました。

私は(え。いいんだ?)と思いましたがそれに対して声を上げることはなく,観てきたお芝居の記憶を頼りに先生が台本を書き上げ,オーディションでキャストを決め,練習し,本番を迎え,よかったねーと評価されたのでした。


そして中学3年生のときのこと。

中学校最後の文化祭なので,中学生なりに気合いも思い入れも強く込めて取り組みます。

都会は中学でもコンクールのようなものがあるらしいですが,所詮長野県。一番の舞台は全校生徒が観てくれる文化祭です。

昨年と同じ顧問の先生は,昨年と同じようなことをやろうとしました。

決定した台本。書籍化もされているプロの作品。やるにはジョウエンキョカというものが要る。らしい。

先生が取った行動は,タイトルもせりふもそのまま。でも作は「演劇部」にして上演しようというもの。

副部長だった私は去年のあのもやもやがそのままになっていたし,そういうのはだめだと知っていた。顧問に掛け合ったけれど,方針は変わらなかった。

なので部活をやめました。引退の少し前に,自分から退部しました。
「自分は演劇が好きだから,こういうやり方は嫌だ。演劇人でいたい。」みたいなことを顧問に言いました。

顧問はこう言ってきました。

『途中で辞める人はさ,次も途中で辞めるんだよ』

そんなこと決めつけるなよ。顧問なりに止めようとしている言葉であっても,そんな言い返せなくなること言わないでよ。

と,心の中は本当に大嵐で,副部長カサハラは退部したのでした。もう一人の副部長に著作権とか上演許可とか言っても,「えっ,知らない」と一蹴され,自分のやっていることは間違っているんだろうかと思ったものです。

文化祭当日は,観たくない気持ちと観たい気持ちが半々で,それでもがんばって観ました。3年生の演技は特に良かったらしく,友達が泣いていました。
その友達を見て,私はとてもフクザツな気持ちになりました。


「フクザツ」なのは,何がフクザツだったのかと言うと,

嘘で作られたお芝居を観て泣いている友達が,騙されているようでかわいそうだったり,

私も辞めずにあっち側にいたら,同じように評価されたのかなとかだったり,

そんないろんな気持ちが混ざっていました。


気持ちの整理ができて,半年くらい経ってから作者さんの劇団に連絡を入れました。

劇団の大人のひとはすぐに対応してくれて,学校や顧問の先生にも電話してくれたようでした。

退部したことも,連絡したことも,後悔はしていないし,私の中では正しい判断をしたと思っています。

だってそれが作品や作者や演劇を大事にするってことだと思うから。


+++


当時の顧問に言ってやりたい。

私は高校3年間皆勤でしたと。

公欠以外は欠課も1時間だってありませんでしたと。

それは部活が楽しかったからです。

きちっと決められたルールに乗っかって部活をやったからこそ楽しかったし,「高校3年間でこういうことをやりました」と堂々と周りに言える。

辞めることを全て悪いことのように取らないでほしい。

私が学校の先生のことが苦手なのは,世の中ではなく学校の法律でモノを見て考えているからです。

“教育の場では許容されるもの”の援用が過ぎることに,

ご本人が気づいているのか,いないのか,それはわからないけど,

舞台に立つのはあなたじゃない。私達子どもなんです。

直接評価されるのもあなたじゃない。私達子どもなんです。

そして大人には子どもを守ってほしいんです。顧問の仕事は脚本を書くことでも演出をすることでもない。部をマネジメントすることなんです。

世の中にはこういうルールがあるよってことを,部活を通して教えてくれるのが顧問なのではないのですか。
ルールとルールの間に隙間があることは,他のどこかの大人が教えてくれるから,いいです。
餃子のたれのような,スタンダードなルール。
そういうものを,あなたには教えてほしかった。



そう言ってやりたい。




中学の部活の同期にもたまに会います。

会うけど,そのたびいつも少しだけ,心が痛みます。



こんなことを,思い出しています。もう10年以上も前のことです。

(中学の部活の練習室。多目的。中学でいちばん好きな場所だったなぁ。)

Monday, August 10, 2015

思い出のぬるま湯に浸かる夜。

「高校演劇ながの」の,自分が高1のときのと高3のときのものを読んだの。久しぶりに。

なんか,高3の方すっごいけちょんけちょんに言われてるんだけど!笑
びっくりするぐらい,なぜこれでこの評価なの!ってぐらい。
しかも他校はクレジットあるのに,うちないんですけど!!!誰の文章なのよこれ!
でも私のところだけじゃなくて,同じ地区の他校もびししーーーーーっと言われてて,なんなのこの年とほんのり思いました。

高1の方は意外な先生が意外な立場で文章を寄せられていて,(あらら!)という感じ。
今読むといろいろ面白いな。うん。先輩の文章とか読むと,あの先輩はそういうことを思っていたんだなぁって思ったり。


昨日(土曜日)は北信地区大会なんてひとさまのホームにお邪魔しちゃって,やりすぎた感。
そしてTwitterでフォローしている高3のみなさんがこぞって「県大会県大会」とつぶやいているので,やはり高3で挑む地区大会は1,2年の時の気持ちとは違うものがあるんだなぁとしみじみ。

私は,高3のときの県は後輩に連れてってもらった感覚なのだけど,「後輩を県大会に連れていきたい」とつぶやいてる方がいて,えらいな…。って思いました。笑
諏訪は明日決まるのかな?なんだか私もどきどき。

わーもう24時。寝よ寝よ。おやすみなさい。

Sunday, August 2, 2015

世間の歯車とわたし。

3日間ほど,知っているひとにほぼ会えない生活をしていたら,世間からすっかり取り残されてしまった感じになっていました。その3日間も非日常ということもあって。

そして今日は学部時代の友達の結婚式の2次会に行ってきまして,こないだぶりのひとから卒業してから5年も会ってなかったひとまで,私の東京での基盤になったひとにたっくさん会えたのでした。

この3日間とのギャップに,少しアワアワしています。


帰り道,横浜からの電車に揺られて,
世間から取り残されてると感じることについて思い出していました。

小さい頃,日曜日とかおやすみの日に,家族は普通に起きていて私だけあとから起きると,すごく取り残された感じがあったなぁ とか

大学生の頃,平日の日中に新宿駅から家に帰ろうとすると,周りの人は働いてるのにと思って,世間と断絶している感じがしたなぁ とか

うーん。それでもやっぱり,小6のときに味わった感覚が私の中で印象が大きくて,
小6の頃は不登校真っ最中に加えて昼夜逆転も起きていて,「おもいっきりテレビ」とか「ザ・ワイド」の時間に起きられたらまだ良くて,目が覚めたら部屋に西日が射しててテレビをつけたら「ゆうがたGet!」がやってたときは,言葉にできない衝撃があった。「おもいっきりテレビ」とかでも十分世間から置いていかれた感はあったけど,ここまで来たのか。みたいなものが。


だから世間と接することは私に今生きている実感を伴わせるもので,
その中でも見知っているひとと関われることがとても重要なのだと,思いました。

私の中に歯車があるように,私のことを知っている他人の中にある歯車が私と少しでも噛み合う瞬間があれば,それはきっと,生きている手触り。
それが,ほしいよね。


+++


何をどうやってもたどり着けなくて,
それはものすごい絶望で,
相変わらず私は 自分でぐつぐつ煮た鍋の中に 自分から落っこちにいってる。
今回も大火傷だ。
でも無傷で何も得られないより 火傷してでも得られるものがあれば そっちがいいと今は思っているから,
それでいいのです。
それでいいのです。

Monday, April 20, 2015

ひとりごとってこういうこと。

6月にちょっくら松本に行く予定ができたから,ワクワクしている。

日帰りかなぁ。何かなぁ。泊まるとなると荷物がたくさんになってしまう…。



松本といえば,ふるさとめぐりの旅第2弾はどうしようと思っている。



第1弾は2年前の5月下旬に,ひっそり行った。自分自身の喪の作業のために。

新宿駅からあずさに乗り,
上諏訪駅で降りて,
高島城とその昔遊んだその横の公園,
生まれていちばん最初に住んだ家,
2番目に住んだ家,
通った保育園,
そのまま諏訪で生きていたら通ったであろう小学校,
いつか行った図書館,通っていたスイミングクラブの跡地なんかを歩いて巡り,一眼レフに収めた。
茅野駅まで行き,日帰りで東京に戻った。

それで終わりのはずだった。だけど日に日に,松本にも行きたくなってしまった。

今だって,行く機会がないわけじゃない。
だけど松本で最初に住んだ家の近くには,もう長いこと近づいていない。

松本に移り住んだのは私が年長のときだったけれど,当時は受け入れがたくて幼稚園の登園渋りもしたらしいし,諏訪の保育園の友達に「○○ちゃん,こっちに引っ越してきて」という手紙も書いた。送ったかは定かでないが。

結局うまくいかず不登校になったし。だけど毎日楽しいと思えたのもこの街に住んでいたからこそだったから,ポジティブな感情もネガティブな感情も同時にわいてくる,私にとって松本とはアンビバレントな土地だ。一言で好きとは言い切れない。そんなに単純じゃない街。


車じゃなくて自分の足を使って,その場所に行って,写真を撮る。
レンズを覗く。シャッターを切るたびに失った時間を思い,今という時間を思う。
きっとそれは私には必要な作業なんだと思う。だからいつか行きたい。近いうちに。


諏訪に5月に行ったのは,長野県で過ごすには一番気持ちいい時期だと思っているのと,その頃高島城に行った気がするから。
だから松本には,7月の終わりとか8月に行きたい。私が松本に引っ越したのは,7月の終わりだったから。

来年かな。今年はもう別のところに行く用事がある。それか,今年のお盆か。わ,日焼けしそう~。



ぐずぐずなりに,ぐずぐずを整理したい。そう思っている。

Monday, February 16, 2015

2000年代(半ば)のギラギラ感と音楽。

短期記憶が抜ける前に書かなければいけなかった記事のあれこれ(関東大会の記録的なもの)を書いて一段落したので,長期記憶を使ってひとつ記事を書いてみたいと思います。
今日のテーマは2000年代のギラギラ感と音楽について。

考えよーと思ったきっかけは,千曲の関東大会で小川先生に言われた

「あの時代(2000年代半ば)は,ギラギラしてたよね。」

というひとことから。

お芝居はその時代のあれこれを吸って吐いてできる生き物だと思うので,そのお芝居が生まれる文化の土壌に何があったのか,ちょっと考えたくなってみたわけです。

で,その土壌なのか…時代のあれこれを吸って吐いてできた別の生き物なのか微妙なところですが,「音楽」もまた,時代を反映するモノのひとつなのではと思うわけです。

…ということで!今日は2000年代(半ば)のギラギラ感と音楽をすり合わせてみたいと思います!
果たして似通う点があるのでしょうか。



中信地区の高校演劇がギラギラしてたのは2003年~2004年がピークだったと思うのですが,その少し前の2001~03年に売れた曲(邦楽)を調べてみると…

2001年
1位 『Can You Keep A Secret?』 宇多田ヒカル (148.4万)
2位 『M』 浜崎あゆみ (131.9万)
3位 『PIECES OF A DREAM』 CHEMISTRY (113.1万)

2002年
1位 『H』 浜崎あゆみ (100.0万)
2位 『traveling』 宇多田ヒカル (85.6万)
3位 『ワダツミの木』 元ちとせ (83.9万)

2003年
1位 『世界に一つだけの花』 SMAP (210.8万)
2位 『虹/ひまわり/それがすべてさ』 福山雅治 (89.3万)
3位 『COLORS』  宇多田ヒカル (88.1万)


時代を引っ張っていたのは宇多田ヒカルと浜崎あゆみだということがよくわかります…。
あと,グループじゃなくてひとり。あるいはふたり。SMAPはちょっと特例。
そして特徴として挙げられることは,この曲のほとんどが,歌ってるひとたち自身によって詞が書かれているということ。彼ら自身が歌わされていないこと。

この時代は「主張したいことは自分で」だったようです。あ,主張したいことがあったとも言えるかなと思います。(今がない時代とは言ってないです。念のため。)


  • 「近づきたいよ 君の理想に おとなしくなれない Can you keep a secret?」(宇多田ヒカル『Can You Keep A Secret?』)
―おとなしいよね…。今,多分,世の中…。絶食男子がいる時代だし…。アグレッシブですね。

  • 「それでも全てには 必ずいつの日にか 終わりがやってくるものだから」(浜崎あゆみ『M』)
―終わりも始まりもないふんわりした曲が多い(ように感じる)2010年代を思うと,しっかり終わりがあるって言ってるあたりの主張の強さ。あとメロディーが高揚しているあたりは,2000年代ならでは。

  • 「キミが最後に詰めた夢のカケラたちは今どうしてる? ボクは二度とは戻れない時代なんだと 気づいた」(CHEMISTRY『PIECES OF A DREAM』)
―“夢のカケラ”というフレーズが2010年代であまり聞かないものではと今ふと思った。

  • 「君の事思い出す日 なんてないのは 君の事忘れた 時がないから」(浜崎あゆみ『H』より『Hanabi』)
―3曲A面シングルというあたりが時代です。今はジャケット3種類でやっと売れる時代です。この歌詞も強烈だったなぁ~。

  • 「もう自分には夢の無い絵しか描けないと言うなら 塗りつぶしてよ キャンバスを何度でも」
―これも2000年代だから出たメロディーだろうなぁと思う。間奏のダダダダ…が強め。そして責め直せと言っている歌詞。強め。


でね,絶対私は『世界に一つだけの花』で時代が変わったと思っているの。個人的にね。
競争主義からオンリーワンになってるでしょ。その1年前に学校だって相対評価から絶対評価になって,誰でも通知表に5がつく可能性が生まれた。“みんな違ってみんないい”文化。比べられることから降りた。そんな感じ。
…あ,比べられることから降りたというか,降りてはいないけど,順位づけされることから降りた感じ。そして昨年大ブームを起こした『Let it go』こそ,評価されることそのものから降りたと思っているよ。私は。

そして「みんないい」文化になって,仲良し(に見える)アイドルグループなんかが売れる時代に入っていく。一人で強い主張をするひとを越えていく。それが2005年とかから顕著になっていく。

そう思うと,2000年代のはじめあたりはどちらかというと単独のひとたちがギラギラしてたと言っていいのかな…(-ω-)
そしてそのギラギラを受けてギラギラしたお芝居をつくっていく…。


うーん,あんまりうまくまとめられなかった!
今回は音楽の面からだったので,次は事件とか事故とか,他の流行りものの面から考察してみたいと思いまーす。
とりあえず音楽からはこんな感じ…。まったく薄い記事になってしまったわ!(焦)

Friday, February 13, 2015

guilty or not guilty

「もう限界でした。親子を装うことも,私を新しい人間として育てることも。いつの間にか時代に追い付かれ,置き去りにされ,何もできないまま色褪せていくのが耐えられない。そう言ってお酒をあびるほど飲むようになりました。」

「私はただ,親子としてあの人と東京へ行く。その時間を取り戻したかっただけです。満員の地下鉄であの人の腕につかまるたびに覚えた,あの痺れるような思いを,もう一度…確かめたかっただけです。」




『聞こえない方の耳で聞いてくれ。俺は結局人民の中はおろか,生活の中にも入ることができなかった。俺は一生を棒に振り,人生を破産した。だが逃げたんじゃない。戦ってきたんだ。でも俺はもうただの人間になりたいんだ。』

「父さん。」

『俺は父さんじゃない。』

「私はあなたの娘よ。私を作ったのはあなたよ。」




「どちらでもいいんです。無実と無罪が別なものであることを私は教わっています。それに私達のことは最後まで,私達にしかわかりません。」





坂手洋二作品のせりふ。

20代になってから,一層思い出すようになったせりふ。

逃げたんじゃない,戦ってきたんだっていうせりふが,私はとても好きなの。




時代に追い付かれ,置き去りにされ,色褪せていくのって,このブログのようだなと,いつも思っています。

Sunday, November 2, 2014

小川先生とわたし。




「当時,長野県中の演劇部の顧問が,君が書く文章を楽しみにしていたんだよ。」



「舞台の感想を書いているひとは他にもいたけど,君のが一番良かった。」







こんな嬉しい言葉が,他にあるだろうか。




昨日と今日,長野県の高校演劇の県大会に行ってきました。自分が高3の時に行ってというか出場して以来なので,実に8年ぶりです。
当時も会場は長野県民文化会館で,泊まったホテルや寄ったコンビニなどを見かけ,懐かしく思いました。

社会人になってまで行ってしまった最大の理由は,以前から書いているように屋代高校を観るためでした。

屋代高校の演目は『南京の早春賦』。2003年に松本深志がやっているのを観ました。
その作者である小川先生から昨日いただいた言葉が,↑のものです。


このブログはもともと,ホームページとしてスタートしました。2003年の話です。
家でようやくインターネットというものができるようになり,プロバイダの無料の枠で作成できたので時代の波に乗って,とりあえずホームページのアカウント,URLを取得しました。

何の発信情報も持ち合わせていない中学2年生の私ができることといえば,1年生のときから観ていた高校演劇の感想を書くことくらいでした。
ので,日々の日記とお芝居の感想のホームページ,「papillon」をつくりました。
時代の波だったので,あと掲示板とかもつけました。cgiの風が吹いていました。

身元はこわいので明かしていませんでしたが,多分バレました。中2のときに行った中信地区大会で提出した感想用紙に本名を書いてしまい,同じ内容をそっくりそのままpapillonに上げてしまったので,多分バレました。

いつだったか忘れてしまったけど,中3のときには直接「カサハラさんですよね,ホームページ拝見しています」と高校の先生に言われたり(それが後の顧問),掲示板に「あなたの感想が聞きたかった」と書き込んでくださったり,メールアドレスを公開していたのでメールが来たりと,ほんの数名の高校の先生と直接やりとりがありました。

当時の私は中学校のレベルと自分の力のギャップに疲れ,学校を休みがちでした。
担任の先生も好きじゃなかったし,演劇部も著作権を守らない顧問が許せなくて途中で退部しました。お先真っ暗な状態。

学校を休む頻度が上がるにつれ,ホームページの更新率も上がり(あれれ),中3の12月とかは,ホームページの訪問数がすんごいことになっていたのを覚えています。今思うと,直接関わりはしなくても,いろいろな高校の先生が見てくださっていたのだと思います。

小川先生も,そのおひとりでした。

当時の深志は『南京の早春賦』で地区から県大会へ進み,関東大会出場が決まっていました。
クリスマス公演として上演するから,観に来てほしいと直接お誘いがあり,平日の夕方,学校から帰ってから一人深志に潜入するという,中学生にはドキドキなミッションを潜り抜け,間近で観劇させていただきました。
終演後お話もさせていただき,血のりがどこで仕込まれるかを図々しく伺いました(笑)。とても気さくな先生でした。

残念ながら私は国語以外は深志レベルのアタマがなかったので,もともとの第一志望の高校に進みました。

高校進学後は“ライバル”になったので,あまり直接お話したり連絡を取る機会がありませんでしたが,私が1年の時の自主公演に,わざわざ足を運んでくださったことを覚えています。
演目にちなんで,“二十世紀の愛人 リカさんへ”というカードつきの花束までいただきました。
私が一般の方向けの公演で役者をやったのはそれが最後だったので,本当に素敵な思い出になりました。



部活が忙しくなり,生活を変わっていき,あまりホームページには手をかけられなくなり,卒業。

それから8年経って,こんな日が来るなんて。



屋代高校の『南京の早春賦』は,県大会初日のトップバッターで,何時開場かがわからなかったので,かなり早く到着してしまいました。
周りは高校生だらけ。黒っぽい服装のひとだらけ。
私,かなり浮いている…。助けて…。
と思っていたら,小川先生がふと私の少し先を横切っていかれたのです!
(まさか!)と思いましたが,演目が演目なのでまさかがありえるかもしれない!でも自信がないので,ちょこっと尾行しました。(ほんとに,20歩くらいだけ。)
でで,確信したので勇気を絞り出し,「失礼ですが,小川先生ですか?」と声をかけさせてもらったんです。
こちらを見る小川先生。そして気づかれたようで,「あ,○○高校の!」
と,本名でもハンドルネームでもなく,学校名で思い出してくださいました。名乗ったら,「あぁ~」って。

しかしリカさん,中3や高校のときはめがねかけてたんですよ。今はコンタクト。
それでもわかってくださるなんて。
本当に本当に嬉しかったです。


そして冒頭のことばを頂いたとき,アイデンティティを再認できたというか,あのとき私のホームページを見ていたさまざまな高校の先生は,同時に私を見守っていてくださったんだなぁということを改めて感じました。
ほんっとーに,中3の秋冬は中学校不審だったし,人生の先が見えなくて毎晩毎晩泣いていたから。

見つけてくださって,ありがとうございました。



今は,mixiに始まりTwitterやらfacebookやらLINEやら,いろんなSNSで情報や気持ちをやりとりできる時代ですが,一部のひとにしか伝わらなかったり文字数に限りがあったり,多くのひとがいつでも気軽に見られる媒体を扱うひとって,減ってるような気がします。
それが悪いわけではないけど,出会える可能性は小さくなったのかもしれない。匿名だからバンバン言えたものも,本名を出さなきゃいけなくなったりして,情報を制限するようになったのかもしれない。

やましいことがあるわけでも,見られてまずいものがあるわけでもないけど,私はこっそりが好き。
どこの誰だかわからないくらいでちょうどいい。
だからブログを続けます。



それにしても,改めて自分の中高の時の感想なり,日記なりを読み返すと,どストレートでキラキラしてて,まぶしいです。自分で言うのもあれですが。

そして思うのです。あれは中学生が書いていたから価値があったのかもしれない,と。

高校に入れば所属がつくので,その所属フィルターを通してでないと書けなくなってしまう。
高校を出ても,やっぱりそういう見方が残ってしまう。

だから,私は中学生の自分には勝てない。あのときあの年齢だったから書けたものだ。
そう思うと感傷的になってしまうしこの先明るい未来がないように思えてしまうけど,
そのときその年齢で出会ったその作品と向き合っていくようにしたい。そう思います。


では,かんげきの続きを書こう。

中学生の頃つけていた,感想のノート。字が中学生ですね。今もあまりうまくないけど。


Wednesday, September 3, 2014

コップの水は透明だけど,海の水は青の色。



透明ってこんな色。




これも,沖縄で撮った写真。

5年前に沖縄に行ったのがちょうどこの時期なので,

楽しかった合宿のこと,思い出します。




ちなみに何をしに行ったかというと,

先生のおうちに泊まって

小学校を見学したり

中学校を見学したり

地元のエイサーのおまつりを見学したり

海に入ったり

海に入ったり

美ら海に行ったり…

とまぁ,わちゃわちゃと楽しいことを…。笑


先生は城を持っていまして…

いやほんとに。

比嘉先生という先生だったので,その敷地一体のことを「比嘉城(ぐすく)比嘉城(ぐすく)」とみんなで呼んでいました。

私は当時心理学のゼミに入っており,比嘉ゼミの子どもではなかったのですが,

比嘉ゼミに入っている友人が誰かひとり連れてくるというミッションを与えられたらしく,

ありがたいことに声をかけていただいたのでした。


教室からエメラルドグリーンの海が見えるなんて,

長野県出身の私からしたら考えられないくらい素敵なこと!

こんなところで生きられたら,きっと不登校なんてないんだろうなァとか思ったものです。


あと名護のジャスコがすごかった。


戦争や基地の問題とかにはほぼ触れず,地元のひとならではの沖縄を満喫できたなぁと思います。

そしてこの合宿から帰って来てから,私の進学準備は始まり,予備校生活が始まったのです。

なので,べんきょうに対する意欲も,この時期にわいてきます。


あと1ヵ月,できれば一発でいきたい。

自分のために,がんばりたい。

Friday, August 29, 2014

みずみずしいわたし

わたしが生まれて初めてディズニーランドに行ったのは6歳のときです。

幼稚園を卒園した春休みに,家族で行きました。

出発の前の日は,すごーくどきどきわくわくしていたのを覚えています。

「次の日が楽しみで夜眠れない」ということがあったのも,このときが初めて。


今,そのときの気分に似ています。






2005年の今くらいの時期の日記や,作った詩や短歌なんかを読み返しました。

あのときはあのときでオブラートに包んでいたつもりだったのに,

なんか「ど」がつくくらいストレートじゃん。

ど直球じゃん。笑

まるで当時かけていたストレートパーマのよう。

まっすぐ進むことしか知らない。



そのときの気持ちはとてもキラキラしていて,みずみずしくて,まぶしくて,

あぁ,生きていたなぁと思うのです。

もちろん今だって生きているけど,

高校生のキラキラした時間って,本当に何にも代えがたい。




今日は宿題だったことをやっつけたから,早く眠ろうかな。

明日が早く来るように,早く眠ろうかな。

そんなふうに思っちゃうくらい,

私は今,ディズニーランド前夜なのです。

Sunday, August 24, 2014

ところで。

タカ先輩へのムービーができました。

あいにくお盆の長野県は天気に恵まれず,

満足のいくタイムラプス撮影ができませんでした。


なので,予定変更。


私の高校時代の頃の写真をつなげて,贈ります。




画質の悪さは,がむしゃらだった頃の自分に似てる。

どこまで伝わるかわからないけど,

インターネットの海に流せば,

どこかで届くと信じてる。