Sunday, August 2, 2015

世間の歯車とわたし。

3日間ほど,知っているひとにほぼ会えない生活をしていたら,世間からすっかり取り残されてしまった感じになっていました。その3日間も非日常ということもあって。

そして今日は学部時代の友達の結婚式の2次会に行ってきまして,こないだぶりのひとから卒業してから5年も会ってなかったひとまで,私の東京での基盤になったひとにたっくさん会えたのでした。

この3日間とのギャップに,少しアワアワしています。


帰り道,横浜からの電車に揺られて,
世間から取り残されてると感じることについて思い出していました。

小さい頃,日曜日とかおやすみの日に,家族は普通に起きていて私だけあとから起きると,すごく取り残された感じがあったなぁ とか

大学生の頃,平日の日中に新宿駅から家に帰ろうとすると,周りの人は働いてるのにと思って,世間と断絶している感じがしたなぁ とか

うーん。それでもやっぱり,小6のときに味わった感覚が私の中で印象が大きくて,
小6の頃は不登校真っ最中に加えて昼夜逆転も起きていて,「おもいっきりテレビ」とか「ザ・ワイド」の時間に起きられたらまだ良くて,目が覚めたら部屋に西日が射しててテレビをつけたら「ゆうがたGet!」がやってたときは,言葉にできない衝撃があった。「おもいっきりテレビ」とかでも十分世間から置いていかれた感はあったけど,ここまで来たのか。みたいなものが。


だから世間と接することは私に今生きている実感を伴わせるもので,
その中でも見知っているひとと関われることがとても重要なのだと,思いました。

私の中に歯車があるように,私のことを知っている他人の中にある歯車が私と少しでも噛み合う瞬間があれば,それはきっと,生きている手触り。
それが,ほしいよね。


+++


何をどうやってもたどり着けなくて,
それはものすごい絶望で,
相変わらず私は 自分でぐつぐつ煮た鍋の中に 自分から落っこちにいってる。
今回も大火傷だ。
でも無傷で何も得られないより 火傷してでも得られるものがあれば そっちがいいと今は思っているから,
それでいいのです。
それでいいのです。

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