Sunday, November 2, 2014

小川先生とわたし。




「当時,長野県中の演劇部の顧問が,君が書く文章を楽しみにしていたんだよ。」



「舞台の感想を書いているひとは他にもいたけど,君のが一番良かった。」







こんな嬉しい言葉が,他にあるだろうか。




昨日と今日,長野県の高校演劇の県大会に行ってきました。自分が高3の時に行ってというか出場して以来なので,実に8年ぶりです。
当時も会場は長野県民文化会館で,泊まったホテルや寄ったコンビニなどを見かけ,懐かしく思いました。

社会人になってまで行ってしまった最大の理由は,以前から書いているように屋代高校を観るためでした。

屋代高校の演目は『南京の早春賦』。2003年に松本深志がやっているのを観ました。
その作者である小川先生から昨日いただいた言葉が,↑のものです。


このブログはもともと,ホームページとしてスタートしました。2003年の話です。
家でようやくインターネットというものができるようになり,プロバイダの無料の枠で作成できたので時代の波に乗って,とりあえずホームページのアカウント,URLを取得しました。

何の発信情報も持ち合わせていない中学2年生の私ができることといえば,1年生のときから観ていた高校演劇の感想を書くことくらいでした。
ので,日々の日記とお芝居の感想のホームページ,「papillon」をつくりました。
時代の波だったので,あと掲示板とかもつけました。cgiの風が吹いていました。

身元はこわいので明かしていませんでしたが,多分バレました。中2のときに行った中信地区大会で提出した感想用紙に本名を書いてしまい,同じ内容をそっくりそのままpapillonに上げてしまったので,多分バレました。

いつだったか忘れてしまったけど,中3のときには直接「カサハラさんですよね,ホームページ拝見しています」と高校の先生に言われたり(それが後の顧問),掲示板に「あなたの感想が聞きたかった」と書き込んでくださったり,メールアドレスを公開していたのでメールが来たりと,ほんの数名の高校の先生と直接やりとりがありました。

当時の私は中学校のレベルと自分の力のギャップに疲れ,学校を休みがちでした。
担任の先生も好きじゃなかったし,演劇部も著作権を守らない顧問が許せなくて途中で退部しました。お先真っ暗な状態。

学校を休む頻度が上がるにつれ,ホームページの更新率も上がり(あれれ),中3の12月とかは,ホームページの訪問数がすんごいことになっていたのを覚えています。今思うと,直接関わりはしなくても,いろいろな高校の先生が見てくださっていたのだと思います。

小川先生も,そのおひとりでした。

当時の深志は『南京の早春賦』で地区から県大会へ進み,関東大会出場が決まっていました。
クリスマス公演として上演するから,観に来てほしいと直接お誘いがあり,平日の夕方,学校から帰ってから一人深志に潜入するという,中学生にはドキドキなミッションを潜り抜け,間近で観劇させていただきました。
終演後お話もさせていただき,血のりがどこで仕込まれるかを図々しく伺いました(笑)。とても気さくな先生でした。

残念ながら私は国語以外は深志レベルのアタマがなかったので,もともとの第一志望の高校に進みました。

高校進学後は“ライバル”になったので,あまり直接お話したり連絡を取る機会がありませんでしたが,私が1年の時の自主公演に,わざわざ足を運んでくださったことを覚えています。
演目にちなんで,“二十世紀の愛人 リカさんへ”というカードつきの花束までいただきました。
私が一般の方向けの公演で役者をやったのはそれが最後だったので,本当に素敵な思い出になりました。



部活が忙しくなり,生活を変わっていき,あまりホームページには手をかけられなくなり,卒業。

それから8年経って,こんな日が来るなんて。



屋代高校の『南京の早春賦』は,県大会初日のトップバッターで,何時開場かがわからなかったので,かなり早く到着してしまいました。
周りは高校生だらけ。黒っぽい服装のひとだらけ。
私,かなり浮いている…。助けて…。
と思っていたら,小川先生がふと私の少し先を横切っていかれたのです!
(まさか!)と思いましたが,演目が演目なのでまさかがありえるかもしれない!でも自信がないので,ちょこっと尾行しました。(ほんとに,20歩くらいだけ。)
でで,確信したので勇気を絞り出し,「失礼ですが,小川先生ですか?」と声をかけさせてもらったんです。
こちらを見る小川先生。そして気づかれたようで,「あ,○○高校の!」
と,本名でもハンドルネームでもなく,学校名で思い出してくださいました。名乗ったら,「あぁ~」って。

しかしリカさん,中3や高校のときはめがねかけてたんですよ。今はコンタクト。
それでもわかってくださるなんて。
本当に本当に嬉しかったです。


そして冒頭のことばを頂いたとき,アイデンティティを再認できたというか,あのとき私のホームページを見ていたさまざまな高校の先生は,同時に私を見守っていてくださったんだなぁということを改めて感じました。
ほんっとーに,中3の秋冬は中学校不審だったし,人生の先が見えなくて毎晩毎晩泣いていたから。

見つけてくださって,ありがとうございました。



今は,mixiに始まりTwitterやらfacebookやらLINEやら,いろんなSNSで情報や気持ちをやりとりできる時代ですが,一部のひとにしか伝わらなかったり文字数に限りがあったり,多くのひとがいつでも気軽に見られる媒体を扱うひとって,減ってるような気がします。
それが悪いわけではないけど,出会える可能性は小さくなったのかもしれない。匿名だからバンバン言えたものも,本名を出さなきゃいけなくなったりして,情報を制限するようになったのかもしれない。

やましいことがあるわけでも,見られてまずいものがあるわけでもないけど,私はこっそりが好き。
どこの誰だかわからないくらいでちょうどいい。
だからブログを続けます。



それにしても,改めて自分の中高の時の感想なり,日記なりを読み返すと,どストレートでキラキラしてて,まぶしいです。自分で言うのもあれですが。

そして思うのです。あれは中学生が書いていたから価値があったのかもしれない,と。

高校に入れば所属がつくので,その所属フィルターを通してでないと書けなくなってしまう。
高校を出ても,やっぱりそういう見方が残ってしまう。

だから,私は中学生の自分には勝てない。あのときあの年齢だったから書けたものだ。
そう思うと感傷的になってしまうしこの先明るい未来がないように思えてしまうけど,
そのときその年齢で出会ったその作品と向き合っていくようにしたい。そう思います。


では,かんげきの続きを書こう。

中学生の頃つけていた,感想のノート。字が中学生ですね。今もあまりうまくないけど。


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