年長の夏に引っ越しをした。
諏訪から松本という,当時の私からすると世界の大きな部分がすっかり変わってしまうような大きな出来事だった。
保育園の転園前に,年中の時の先生と年長クラスの先生が絵本を贈ってくれた。
年中の時の先生が選んでくれたのが,『ずーっとずっとだいすきだよ』。
光村図書の一年生国語にも載ってるやつ。
私は年中の時の先生がだいすきだった。
あれは,いつか死ぬ,いつかいなくなるものたちに対して
今日伝えておけることをきちんと伝えておく話だと思っているのだけど,
親にも,自分の親にもおんなじことが言えると思っている。
例えば父の日や母の日の贈り物なんか。
母は「無理しなくていいよ」と言ってくれるけれど,親が死んでしまっては贈りたくても,「ずーっとずっとだいすきだよ」と言いたくても,届かない。
だから贈れる時に贈るようにしている。
親に限らず,
あぁ会っておけばよかったなぁとか
なんで連絡ためらってたんだろうとか
「あの時○○していれば」という後悔やあり得た選択肢への羨望は
何かしら,ずっと残るだろう。
そういうのがある意味人生なのかもしれない。
だけれど今日という日を十分生きるためには,今日という日に気持ちを向ける必要があって,
それは過去に囚われていては難しいことであって。
だから私はなるべくきちんと表明して,なるべく持ち越さないようにと決めた。
だけどそんな話をすると母は「ちょっとやめてよ~」と言う。
死について,考えたくない人はなかなか考えたくないらしい。
きょうだいで争いたくないから,遺書を作っておいてくれとずいぶん前から頼んでいるけど,なかなか動けないようだ。
お別れの準備を全くせずにいなくなってしまわれるのも,残された側からすると負担なんだけれど。たぶん。
あぁ,話がなんかずれてきた。
要は今をきちんと,伝えておけることをきちんと,という話。