Saturday, October 30, 2021

自分の緊急オペから6日後に父が亡くなった話②

ごきげんよう,カサハラです。続き続き。

きょうだいに連絡した時は搬送中の状況。その後母から心肺蘇生してもらっていると連絡がきました。でも,心停止してから15分くらい経つと救命率が下がるのは素人の私でも知ってました。

翌日の0時台に父が亡くなり…。あれ,夫はいつ帰ってきたんだろう?(定時が遅い人)

当然ですが夫に父のことを話したらびっくりしてました。


この日は私の退院後,外来に行く予定でした。この結果で,翌日仕事に行こうか判断しようと思っていたところ。もはや何をどういう順番で考えたら良いかわからなくなりました。

外来を蹴る?でも葬儀の時に私が万一倒れたら超迷惑。でも外来は11時とかそんな時間。一刻も早く実家に行きたいのに。

精神科に勤めている私は,容易に診察の順番を変えてもらえないこともわかっているつもりでした。それでもとりあえず,朝一で外来に行ってみて,受付で交渉しようと思い,何泊するかわからないけど喪服を含めて準備。

途中姉から連絡がきて,何世帯も実家には泊まれないから,宿泊先をどうするか聞かれて。知らぬ間に駅の近くにビジネスホテルができてたので,姉家族も私達もそこに泊まることに。ビジネスホテル…本当にありがとう…。


荷物もあらかた用意できて,足りないものを調達する場所も考えて,やっとベッドに入れたのは多分3時とか4時でした。

夫はしっかり寝てくれて,よかった。

私はというと,涙が出た後も全然眠れなくて,文字通り一睡もできませんでした。眠れない夜はあっても,明け方には寝付ける人だったので,本当に心がザワザワしていたのだと思います。早めに行動することにして,出かける準備をしました。


外は雨。というか台風。

私は軽い荷物を持って病院へ。

駅からのシャトルバスに乗っている間,3箇所の勤務先へ連絡。勤務先がバラけているとそれぞれ欠勤するダメージが小さい分,その後のやりくりはちょっと大変。でもしかたない。


病院に着き,科の受付に出向いたのが8時過ぎとかだったのかな。事情を説明したいだけなのに,涙が出てしんどかった。

思っていたより混んでいなかったのもあり,だいぶ早く…というかもしや一番くらいに呼んでくれましたか?というくらい早くに診てもらえました。

経過は良好。一ヶ月後に来るよう言われ,9時頃には病院を出られたような気が。本当に感謝。


喪服用のパンプスや数珠,バッグなどがなかったので,ターミナル駅のマルイの開店待ち(10時)をしました。このターミナル駅は職場の一つがある駅でもあって,ここのマルイも仕事帰りに何度も足を運んでいたので…なんというか,この駅に寄れたことも安心というか心強かったです。

フォーマル小物のお店に直行し,値札なんて見ていられないのでとりあえずあれとこれと…と頼みお会計したら,5万円くらい行ってました\(^o^)/

さすがマルイ…。思わず2万円分のポイント使いました。めっちゃ溜まってたけど,このポイントはこの日のためにあったのねと思いました…笑


買い物を終えて,あずさに乗るためまた別のターミナル駅へ。途中で種別を間違えて降りた駅のホームには雨がざんざか降ってきて,寒くてつらかった。

ターミナルに着いて,お弁当を買ってあずさへ。

夫は新宿から乗っていて,自分の分と私の分のキャリーを持ってきてくれていました。天気が悪い中,本当にありがとう…。

電車の中で…少し眠れたのかな?いや寝れなかったかも。


続きますね。

次回,non-noを棺桶に入れるの巻。



Sunday, October 17, 2021

自分の緊急オペから6日後に父が亡くなった話①

ごきげんよう。
今日は東京も寒くて,アウターがほしい日です。
ていうかアウター,今クリーニング屋さんにあるのでこれから取ってきます。

さて表題の件です。
そうなんです。なんか人生7日間のうちにいろいろあるなと思いました。
私の緊急オペ詳細についてはまた追々書くとして,父ですよ,父。
父が亡くなってからというもの,私は多分それ絡みの夢ばっかり見ているので,
やはりこうして文字にして心の中を整理せねばと思って…。

父が亡くなったのは先月末というか今月頭というか。
私は先月の最終火曜日に退院して,ひとまず水~金は仕事を休み,
金曜の外来の結果次第で土曜日勤務しようか検討していたところでした。
木曜日は昨年度から毎週通っているセミナーがあって,それには行きたいと思って参加。
2時間ただ座っているだけでもオペしたところが痛いもんだな~という収穫があり,
(土曜日働けるかしら…)
と思いながらの帰宅でした。

21時にセミナーが終わり,22時前に帰宅。遅い晩御飯を食べ,
ちょっと休憩~と思ってスマホを持ってぽふっとベッドに転がったその時,
母から電話が。
いつも母との電話は99.9%私から掛けているので,なんかめずらしいな~と思って出ました。

「お父さんがトイレの前で倒れてる!息してない!〇〇おばさんに電話して!」

と普段穏やかな母がややパニックっぽい感じで掛けてきました。

父には持病がありました。メインは特発性間質性肺炎というもの。
肺線維症とも聞いていたけど…。特発性~は原因不明で,指定難病にもなっているそう。
原因不明とか言ってるけど,私は絶対長年の喫煙のせいじゃんと思っていました。
お医者さんは「余命5年」と言っていたそうですが,母は「発症と診断で時期のずれがあるのに,いつから数えて5年なのか…」と言っていて,確かに…と思ったのを覚えています。

診断を受けた時からもう5年以上は経っている。
ちょうど最近,職場の先輩に父のことを話していたら,先輩のお父様も同じ病気で
先輩が18歳の時に亡くなられたという話を聴いたばかりでした。本当に突然だったと。

私は冷静につとめて,『救急車は呼んだの?』と尋ねながら結婚式の時の出欠はがきの中から伯母の連絡先を探しました。はがきをめくっていると足がガクガクしてきた一方,
(このはがきってこういう時に使うんだ…)と思う自分もいました。
電話では母がもう一台,家の電話で救急隊?の人と話しているのも聞こえました。
『お姉ちゃんと□□(弟)には電話するから!』と伝え,電話を切りました。

伯母さんは両親と同じ市内に住んでいて,しょっちゅう家にも来てくれる人。
聞くところによると最近父と同じ病気だと判明したとかなんとか。
スマホの番号は電話帳に入っていたので掛けたけど,22時半過ぎ。出ない。
なんとか家の番号を見つけて掛ける。出ない。留守電。切る。
もう一度掛ける。出ない。留守電。仕方ないから吹き込む。

『リカですけど,父が倒れました。母が救急車を呼んでいます』あたりまで
喋っていると,「え!?」と大きな反応があり電話に出てもらえました。
『多分□□病院に運ばれると思うけど,そこまで聴いてない。私が知ってるのはこれだけ。お願いします』と頼んで,電話を切りました。

姉と弟にも電話。
姉も弟も一発で出ない。交互に掛けると姉が出てくれましたが,
「もしもし…」と明らかに寝ていた声。申し訳ないけど現状を伝えました。
弟は“コンビニ行ってる!あとで!”というLINEが。なんてのんきなんだ。
でもその前まで仕事してたってことなのか?と思うとおつかれさま…。
つまり母が子ども達3人に掛けてバシッと繋がったのは私しかいなかったんだとわかりました。

長いので続きますね…。



後日夫の方のおじさまに手紙で連絡したらこんなものをいただいてしまった。
父,甘党なので喜ぶと思う。