ごきげんよう。
今日は東京も寒くて,アウターがほしい日です。
ていうかアウター,今クリーニング屋さんにあるのでこれから取ってきます。
さて表題の件です。
そうなんです。なんか人生7日間のうちにいろいろあるなと思いました。
私の緊急オペ詳細についてはまた追々書くとして,父ですよ,父。
父が亡くなってからというもの,私は多分それ絡みの夢ばっかり見ているので,
やはりこうして文字にして心の中を整理せねばと思って…。
父が亡くなったのは先月末というか今月頭というか。
私は先月の最終火曜日に退院して,ひとまず水~金は仕事を休み,
金曜の外来の結果次第で土曜日勤務しようか検討していたところでした。
木曜日は昨年度から毎週通っているセミナーがあって,それには行きたいと思って参加。
2時間ただ座っているだけでもオペしたところが痛いもんだな~という収穫があり,
(土曜日働けるかしら…)
と思いながらの帰宅でした。
21時にセミナーが終わり,22時前に帰宅。遅い晩御飯を食べ,
ちょっと休憩~と思ってスマホを持ってぽふっとベッドに転がったその時,
母から電話が。
いつも母との電話は99.9%私から掛けているので,なんかめずらしいな~と思って出ました。
「お父さんがトイレの前で倒れてる!息してない!〇〇おばさんに電話して!」
と普段穏やかな母がややパニックっぽい感じで掛けてきました。
父には持病がありました。メインは特発性間質性肺炎というもの。
肺線維症とも聞いていたけど…。特発性~は原因不明で,指定難病にもなっているそう。
原因不明とか言ってるけど,私は絶対長年の喫煙のせいじゃんと思っていました。
お医者さんは「余命5年」と言っていたそうですが,母は「発症と診断で時期のずれがあるのに,いつから数えて5年なのか…」と言っていて,確かに…と思ったのを覚えています。
診断を受けた時からもう5年以上は経っている。
ちょうど最近,職場の先輩に父のことを話していたら,先輩のお父様も同じ病気で
先輩が18歳の時に亡くなられたという話を聴いたばかりでした。本当に突然だったと。
私は冷静につとめて,『救急車は呼んだの?』と尋ねながら結婚式の時の出欠はがきの中から伯母の連絡先を探しました。はがきをめくっていると足がガクガクしてきた一方,
(このはがきってこういう時に使うんだ…)と思う自分もいました。
電話では母がもう一台,家の電話で救急隊?の人と話しているのも聞こえました。
『お姉ちゃんと□□(弟)には電話するから!』と伝え,電話を切りました。
伯母さんは両親と同じ市内に住んでいて,しょっちゅう家にも来てくれる人。
聞くところによると最近父と同じ病気だと判明したとかなんとか。
スマホの番号は電話帳に入っていたので掛けたけど,22時半過ぎ。出ない。
なんとか家の番号を見つけて掛ける。出ない。留守電。切る。
もう一度掛ける。出ない。留守電。仕方ないから吹き込む。
『リカですけど,父が倒れました。母が救急車を呼んでいます』あたりまで
喋っていると,「え!?」と大きな反応があり電話に出てもらえました。
『多分□□病院に運ばれると思うけど,そこまで聴いてない。私が知ってるのはこれだけ。お願いします』と頼んで,電話を切りました。
姉と弟にも電話。
姉も弟も一発で出ない。交互に掛けると姉が出てくれましたが,
「もしもし…」と明らかに寝ていた声。申し訳ないけど現状を伝えました。
弟は“コンビニ行ってる!あとで!”というLINEが。なんてのんきなんだ。
でもその前まで仕事してたってことなのか?と思うとおつかれさま…。
つまり母が子ども達3人に掛けてバシッと繋がったのは私しかいなかったんだとわかりました。
長いので続きますね…。
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