Monday, November 24, 2014

公共劇場専属のカンパニーが数年間の企画として終わらないためには何が必要なのか。

私は松本出身なので,全国に存在する公共劇場の一つであるまつもと市民芸術館には,とても愛着があります。

このハコは,私が高校生のときに開館しました。そこから松本が“芸術に触れる頻度”はずいぶん上がったと思っています。

開館前には,東京に出かけて観劇することが何度かありました。高速バスに乗って3時間揺られ,さらに新宿から慣れない満員電車に揺られ,目的の駅に着いて,そこからまた少し歩く。それが松本だけで生活している高校生にとって,どれだけ大変なことか。チケット自体は安くても,その2.5倍くらいのお金を用意できないと観に行くことができませんでした。

劇場がオープンすると,作品が松本にやってきます。
私達は学校帰りに直接お芝居を観ることができるようになりました。
それがどれだけ贅沢なことか。
松本は東京にはなれないけれど,東京(という名の文化の発信地)のかけらが,自分の暮らす街にやってくる。
それがどれだけ贅沢なことか。


かつて世田谷パブリックシアターができたとき,当時の芸術監督の佐藤信さんは

“劇場を生んだ親が行政なら,育ての親はお客様です”

みたいなことを仰っていました。これはどの公共劇場においても言えることだなーと思います。

そう。地方は東京にはなれないし,その土地で生まれたハコが生きていくためには,その地域に根付いていく必要があります。
松本だったら,たとえばサイトウキネンで使われてこその劇場だなって思いますし,そうして私達が足を運ぶことによって,まつもと市民芸術館をまつもと市民芸術館にしていくのだと思います。


さて,公共劇場は公共劇場なので,ミッションのひとつに市民に文化的なモノを還元するという役割もあると思います。民間のハコが,どちらかというとお客さんの来館を中で待っているところだとしたら,公共劇場はその中身を,外に向かって市民の近いところへお届けするところなのではないかと思います。

しかし中身は器がないとこぼれてしまう…。その器を担う存在が,劇場専属のカンパニーなのではないかと私は考えています。

劇場の稽古場を使って稽古し,ホールを使って発表する。
多少流動的であっても,ほぼ同じメンバーで作品を作る。
枠があるから,質が安定する。
ブンカブンカと言っても,たとえば毎回メンバーが変わるだとか,そもそもメンバーが作品づくりに集中できないような環境であれば,それはただの“ちょっとした企画”で終わってしまうように思います。

まつもと市民芸術館のTCアルプ,静岡芸術劇場の劇団SPAC,水戸芸術館の劇団ACMなど,いろいろ専属カンパニーというものがありますが,そういう視点で見ると,日本で一番しっかりしている公共劇場専属のカンパニーは,りゅーとぴあのNoismかなと思います。
(といっても私は全国を網羅しているわけではないので,本当に偏った情報の中で書いていることをご了承ください…)

Noismはお芝居のカンパニーではなく舞踊集団なので,他と同じ基準で比べることはできないのですが…公共劇場専属という括りとして見た時に,ここだろうなと思うのです。
大きな理由は
①外に発信し続けていること
②レパートリーがあること
でしょうか。

①は,もうそのまんまで,新潟県内外で公演をどんどん打っていることですよね。私は初めてNoismを観たのが2008年。東京でしたが,2004年に松本に来た時からずっと気になってました。
新潟で作ったものを外に持ち出して,外のひとが評価して,それをまた中に持ち込んでくる。どちらにも,常に新鮮で洗練されたものを持っていけるんじゃないかなーと思います。

②は,安定の表徴というか…。良いものは,繰り返されるものだと思うのです。繰り返されるというか,より多くの人に味わわれるもの。文学の名作はずっと教科書に載っているし,音楽は演奏されるし歌われるし。でもお芝居やパフォーマンスは生を共有する媒体だから,結果再演という形で,繰り返される。味わうことができる。
でもこれって,さっき言ったように毎回人が変わっちゃうとか,何年かしたらメンバーの大半がいないとか総とっかえだったら,ムズカシーことなんだろうと思います。

こういうところが,公共劇場専属のカンパニーが“ちょっとした企画”止まりにならないために必要なんだろうなと思います。
あと,すごく重要なところで,おかね。生きていくための,おかね。

役者もニンゲンなので,ごはんも食べるし生き抜きも必要だし。その地盤がないと,いいお芝居つくるぞって言われても難し…そう。

風の噂で,水戸は公演の有無に関わらず,一定のお給料が毎月出ると聞きました。ほんとだったらだいぶありがたい話だろうなと思います。お金のあるなしは心の余裕に直結するんだということを,社会人になってかなり実感しています。
良質な文化を発信するための器を担うニンゲンの財政的な基盤を担うことも,カンパニーをマネジメントするひとびとの役割なんだろうなと思います。


役者は使い捨てじゃないし,カンパニーが成長するということは,そのメンバーが成長するということ。カンパニーや役者は,その地域の文化そのもの。
だとしたら,マネジメント側はそれらカンパニーや役者を大切にするために,地域に根付けるような枠と見通しが必要だと思うのです。

自分で書いててムズカシーと思い始めてきたので,この文章はこれでおしまい。
また書きたくなったら,ここに足していきたいと思います。

No comments:

Post a Comment