Wednesday, November 3, 2021

自分の緊急オペから6日後に父が亡くなった話③

天気が悪い中辿り着いた実家。(あんまりよく覚えてないけど…)
祖父も祖母も亡くなった際寝かされていたお座敷に,父もまたいた。
祖父母は北枕だったのに,父は西になっていた。業者が違ったよう。

本当に父は亡くなっていた。ここ数年ずっとつけていた歌丸さんみたいな酸素のチューブはもうなかった。
祖父母が亡くなった時は,亡き骸に触れるのが怖くて触ることができなかった。生前の父の頬など最後に触れたのはいつだったか。そう思いながら触れた頬は10月だというのに冷たくて驚いた。

葬儀のことや何やかんやは母と弟が業者の人とあらかた話をしてくれていた。弟,ありがとう。
その後関西から姉家族もやってきて,姪っ子と久しぶりに対面した。東京を出る前,私は姪っ子のためにすみっコぐらしのシールブックみたいなものを買って彼女の退屈に備えていた。喜んでもらえて何より。
その日の晩はホテル泊。実家に泊まる場所がないので…。涙が出てきて出てきて,なかなか大変でした。

さて棺に何を入れるか…となった時に,「アレを入れよう」となった。
父が事あるごとに人に自慢し,見せびらかしていたnon-noである。


父は早稲田の広告研究会に入っていたようなのですが,何かそこに取材というかカメラがやってきたことがあるようで,4年生だったから写真に入ることができたらしい。
(実際中身はワインの宣伝。笑)



ピンクレディーのどっちがいいか…みたいに聞かれて答えたらしいのだけど,「実はミイちゃんとケイちゃんを間違えて答えていた」と生前父は笑って話していた。私の芸能原始人(命名:姉)っぷりは父譲りなのかもしれない…。

これを入れるか否かで家族間で意見が割れました。
「えっ,入れるの?」
『えっ,入れないの?じゃあこれいつ処分するの?古雑誌に出すの?』
「……。」
『あの世でも自慢すればいいじゃん』
と押しまくり,入れました。笑
お坊さんからは「貴重なのでは…」と言われましたが,その後の処分と考えた時に,父に持っていてもらうのが一番良いのではないかと。
通夜というか納棺は,悲しく寂しい時間ではありましたが,ごく限られた親族のみで行い,変なおもてなしもせずに済んだので気持ちは楽でした。
その日の晩もホテル泊でしたが,テレビで「ペット2」をやっていて夫のダーナくんがそれを見ていたりして,私もようやくまともに眠ることができました。

翌日の出棺。部屋から霊柩車まで運び出すのは男性陣がやってくれましたが,ダーナくんが私の父の棺を持っている…というのが不思議で,これが家族ということなのか…としみじみ思いました。
火葬後のお骨拾い…。頑張って取ろうとしたやつが身体の中でもかなり大きめの骨で,途中で諦めてしまった時があったのよね…。ごめん父…。

姉家族はこの日で帰宅。ダーナくんももう一泊できたけれど,母にゆっくりしてもらおうと思い東京に戻ってもらいました。子ども達が一気に帰らない方がいいと思って,相談して弟は一週間くらいいてもらうことに。在宅勤務うらやま…。そうそう,お葬式当日は私の33歳の誕生日だったので,夜はコンビニスイーツを3人で食べましたよ。母や弟に祝ってもらうなんて何年ぶりなの。笑
翌日はガラッガラな役所に行って,各種手続き。原則市民じゃないと使えないという市民霊園の今後の利用についても確認できたのでよかった。

そんなこんなで火曜日に退院した!と思ったら金曜日に父が亡くなり,日曜日&自分の誕生日にお葬式をして,次の火曜に帰京するという人生の中でも特に濃密な一週間を過ごしました。
父に対してはいろいろな気持ちがありますが,父であることには変わりなく。とにかく突然だったので,気持ちの整理はこれからです。