たまに考えること。
私が死ぬときに、もしお父さんとお母さんとお姉ちゃんと弟の姿が、アタマの中に浮かんだら。
その家族はどの家にいるんだろうかってこと。
我が家は決して転勤族ではないですが、よく引っ越しをしました。
私が保育園の年中に上がる時、年長の夏、小5に上がる時、高2の途中・・・
加えて私だけ、高2に上がる時、高3の夏、大学に行く時。
・・・6回引っ越してるのか。私は。
年長の夏から上京するまでは、ずっと松本に借家で住んでいました。
ひとつの家に、最短で8ヵ月、最長で6年住みました。
死にたかった場所も、生きたかった場所も松本。
私が愛した・愛するたくさんのひとがいる松本は、「私をつくった街」だと言えます。
そんな私が小さい頃ほしかったものは、「家」でした。
マンションでも一戸建てでも、古くても新しくても、誰と住んでいても、
マイホームに住んでいる友達が、うらやましかった。
住むものとしての家に加えて、持ち物としての家があることが、うらやましかった。
「自分達家族のもの」があるという安心感が、ほしかったのかもしれない。
私にも、いずれマイホームになる家は最初からありました。
大町にある、父方の実家です。
だけど父方の実家は父方の実家に過ぎず、
実家のことを「リカちゃんの家なんだから」とおばさんに言われても、
いまいちその実感は持てませんでした。
祖父が亡くなり、祖母も亡くなり、誰もいなくなった大町の家。
その家に、両親が住む目途が立ちました。
あんなにほしかったマイホーム。持ち物としての家。安心感。
ほしかったはずなのに、はずなのに、私は今とてもさみしい気持ちでいっぱいです。
それはきっと、「帰る」場所だったところが、用がないと行けない場所にかわってしまうからだと思います。
別に家族揃って北海道に移住するとか、ひとりだけ海外に永住するとかじゃないんですが、
ただただ、さみしいのです。
もうとっくに上京して離れているから、何を言ってるんだろうと自分でも思いますが、
松本から、離れたくない。離れるのがさみしい。そう思うのです。
これからは帰省するときは大町に帰る・・・のだろうけど、私の家という感覚は、ちょっとやそっとのことではならない気がします。実際住むわけではないし。
「私の家」は、どこだったんだろう。死ぬときのおたのしみにしときます。
でもっていつも以上に「だから何日記」でごめんなさい(笑)。
引っ越しは来月末です。
松本には、夏に来たから、夏に去ります。そういうことにします。
また別個に、大町の住所など送ります。
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