やっぱり,ひとにどう扱われるかによって,私たちは自分自身の価値を知るのだと思う。知るというか,実感するというか。
その“扱われ方”は,たぶん時々つらい場合があって。それは私が投げたボールがそこらへんに転がったまま放置されてないかとか,突然痛くて速くて取りづらいボールが投げられてこないかとか。そんなん。
つらいから「あーこれはつらくはないぞ」とか「それでも嬉しい」とか自己暗示をかけて(それこそ被虐の子のように),感覚と言葉をすり替えることがあるのだけど,本物の感覚に触れてしまうと,その分ズレに気づいてしまう。すり替えて生き延びようと無理していたことも,本当はものすごい絶望していたことも。
私はもうそんな絶望はこの先しないんだろうなと思うと,じわじわとした安堵と,本物の感覚に触れた嬉しさみたいな,そんなものがいっしょくたになって,いろんな感情のみなさんが心の中できゅうきゅうしてました。
これをひとまとめにしたらどう言えばいいのかわからないけど,私もきちんと扱われる価値のある人間なんだなーということを,この年にしてちゃんと実感できました。
2年前に,友人の花が「カサハラにも価値があるんだよ?」と言ってた時には全くピンとこなくて(末期だわ…)と思っていましたが,死んだ心の神経がまた元気になってきたようです。詰まってた血管の,血の巡りがよくなる…みたいな。やっと酸素が体の隅々まで届いて,深く息が吸える感じ。
はー。生きてたらこんな幸せなこともあるんだな。
死ななくてよかったなぁ。(しみじみ。)
はいっ。そんな感じで,年休を取ったお話でした。
さてこれからSVの資料を作りますよ…。
(超たまたまだけど,2年前の自分の日記が本気で絶望してる内容だった…。こんなにも変わるのか人って。笑)
最近食べたおいしいものシリーズ。
山賊焼き定食。うまうまだった…。
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