Tuesday, July 15, 2014

「この世は生きるに値する」のか。

先日、大学院の先生のSVを受けたときに、この「  」内のことばが出てきました。

あれです。宮崎駿のことばです。

「生きる意味」は、誰しも考えるものですが、
私たち心理職も、やはりクライエントからこのテーマが出てきたときには一緒に考えていきます。(たぶん…)

あと、昨日花と話して、私は私に対して全っ然価値を感じていないということがよくわかりました。

自分に対する価値と、生きるというモチベーションは、多少関係しているのだと思います。

いや、でも私はまだ死にません。だいじょーぶです。笑



私も小学生の頃は、
「なぜ生きているのか」
「生きなければいけないのか」
「なぜ死んではいけないのか」……
などなど、考える子でした。

母は「死んじゃいけない」と言いましたが、なぜ死んじゃいけないか理由を訪ねると、「お母さんが悲しむ」と返してきました。
きっとそうなんだと思いますが、それは母の感情なのであって、私が主体的に死んではいけない理由というものを見出だすには至りませんでした。
(いやしかし親不孝な娘だわ……。)


秋葉原の連続殺傷事件を犯した加藤被告の弟は、死ぬ理由に勝る生きる理由が見つからないと言い、自害の道を選んだと聞きました。

こちらは話が少し逸れますが、大学院の予備校で出会った友人は、当時不登校研究を計画しており、「なぜ登校するのか」という視点から不登校を捉えていました。登校しない理由が登校する(したい)理由を上回れば、不登校になるという論理です。

どちらも不等号で表せる、なんてシンプルな構造なのでしょう。
でも、そういうものなんだと思います。

そんでもって、その不等号はいつでも、どんな弾みでもひっくり返る可能性がある。風見鶏みたいに、簡単にくるくる回るものかもしれない。


私の不等号は今のところ、生きる理由が勝っているけど、人生の風に流されてなんとなくそちらが大きいだけなのだと思う。

「この世は素晴らしい」とは思えなくていい。
「自分には価値がある」「この世は生きるに値する」と、そう思いたい。思えるようになりたい。

でも、二律背反だけれど、「価値が見いだせない自分」という存在も忘れないであげたい。
価値の押し付け屋には、なりたくないからだ。 ふたつでセット…みたいな。

その片割れを見つけるように、とりあえず明日も仕事に行く。

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