Saturday, March 7, 2015

フリーズドライで生きていく。~私がブログを続ける理由2015~




「言葉は発した途端に腐っていく。」



…みたいなせりふ。

去年観たミナモザの『みえない雲』に出てきた登場人物「私」から出てきたせりふ。

その言葉すら,発した途端に腐っていくから,私が書いた↑の言葉でさえ,きちんと合っていない可能性がある。

すごく衝撃的だった。劇作家から「言葉が腐る」なんて言葉が出てくるのか,と。
「消える」のではなく「腐る」なのか,と。

そう思うと,現代を生きる人と人とを繋ぐコミュニケーションツールのひとつであるTwitterやらLINEは,なんて生モノな言葉なんだろう。
早くしないと乾燥しちゃう。早く食べないと腐っちゃう。なんて生モノな言葉なんだろう。
それらはスピード勝負で,一過性のもので,やがて消えていく。断片として残ったものはやはり断片であって,思いの全てではない。



カサハラリカはなぜ時代と逆行しているのだろう。



マジョリティに巻かれるのは好きじゃない。
平凡ではありたくない。何も持っていないくせに,何かはしたいという面倒なタイプのニンゲンである。

だから中2の冬にwebサイトを作った。中3の春には時代の波に乗ってブログも作った。

そのまま現代の波に乗りたいと思ったら,Twitterやらfacebookで感想を書けばいいじゃないか。
きっとたくさんリツイートされてふぁぼられて,いいね!されるに違いない。

だけどそれはしない。その波には乗らない。

私はブログを書き続ける。
今どきブログが流行らないのはわかっている。
自分が時代と逆行していることは十分わかっている。

それでもブログなのは,全ての言葉が揃って初めてひとつのことが言えるからだ。140字やスマホのような小さな画面にはとてもじゃないけど収まらないからだ。

舞台にせよ,映画にせよ,私はひとの心が動くさまを見たい。それでこそお芝居だ。
だから私も自分の心がどう動いたかをできるだけ詳細に残したい。結果も大事だけど,何を経てそこへ至ったかというプロセスを大事にしたい。何か「あれっ?」と思うことがあったら,なぜそう思ったかを合わせて考えたい。
その動きっぷりを全体としてとらえることによって,初めて感想は感想になる。そう思っている。140字やスマホのような小さな画面にはとてもじゃないけど収まらない。そう思っている。



それから私は,自分の言葉に責任を持ちたい。



誰かに自分の気持ちや思いを切り貼りされたり,一部分だけピックアップされるなんてごめんだ。
パウンドケーキを5切れ食べるのと,5つに切れる(かもしれない)パウンドケーキ1本を食べるのは全く別のことだ。
おいしいところも苦いところも,食べ過ぎて胃がもたれそうになっても。それが1本。
はじっこも真ん中も,まるまる1本で初めて“全て”になれるはず。



何を思い,どう考えたか。

それが生きていることなんだと思う。

何を思い,どう考えたかを記録しておくこと。

それが生きていたことを残すことなんだと思う。



私はブログを書き続ける。
今どきブログが流行らないのはわかっている。
自分が時代と逆行していることは十分わかっている。

誰かに向けて書くんじゃない。
自分のために書いていく。
その作品の関係者に読んでほしいとか,アドバイスしてあげるとか,そんなもんじゃない。
その時その瞬間自分の心がどう動いたかを,フリーズドライにしておきたいだけ。

気持ちも,もしかしたらその作品を観たということ自体も,いつかは忘れてしまうかもしれない。

忘れてしまう多くのものに,心躍る鮮やかなものに慣れてしまうことに,川のように流れていく日々に,ピンを刺しておきたいと思う。
きっとそのピンは,いつかとても愛おしいものになっていると思う。
たとえば人生のおまけの中でへこたれてしまうときに,私を支えてくれると思う。




…と書くと,(なんて自分に溺れているニンゲンなんだ…!)とも思いますが,
とにかく私にとって「書くこと」は人生の中で大事な作業なので,
これからもマイペースに続けていけたらと思います。

ちゃんちゃん。

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