先週は職場の先輩の結婚式だったわけですが,
不器用の塊であるカサハラは自力でヘアアレンジができません。
結婚式やら2次会やらのときには,いつも行きつけの美容室でセットしてもらっています。今回もそうでした。
9時に美容室。本来の開店は10時なので,早く開けてもらう約束を1月にしておきました。
結婚式当日。パタパタと急いで美容室へ。
がっ。
いざ建物の前まで来て,見えました。電気のついていない美容室が…!
おやおや…?(^^)
前に8時に開けてもらったときはピカピカ電気がついて,ちゃんと店内の音楽も流しててくれましたよ…?
階段を上がりドアを開けてみると,開いた!
そしてアシスタントのひとが暗い店内でタオルをたたみまくっていた!
きょとん顔である!
これはもしや…?(^^)
はいっ,担当さん来てない!!!
アシスタントのひとに電話してもらって,飛んできてもらいました。笑
担当さんを待ったのは20分くらいで,その間アシスタントのひとにホットカーラーを付けてもらってたので,職場の同僚の方との待ち合わせにはギリギリ間に合ったのですが…
到着した担当さんはどんべこみしてました。どんべこみ。(久々にこの単語使った。)
見ていてかわいそうでした。笑
しかし,なぜか私,これは予想の範囲内だったのです…。
お店に行って担当さんがいないということが…。
アシスタントのひとがいたからまだよかったけど,最悪店の前で待つんじゃないかと思っていました…。
だから思わず担当さんが来たとき,「すいません,予想してました…。」って言っちゃいました。笑
それを同僚の方に報告したら,
「お店のひと,そんなに信用できないの…?」
って言われました。それを聞いて
(´_`)あれ?
と違和感。
ううううーん,確かに私,(もしかしたら担当のひと来てないんじゃ)って本気で予想したし,前日には「明日予約入ってますよね?」ってリマインダーで電話しようかと思ったけど(←でもこれは電話かけるなら逆だと思ってやめた),それって担当さんを信じていなかったとかそうではないんだよな…。でもこの不確か感はなんだろ~と考えていました。
そしたらゆうべΣ(゜д゜)ハッと答えが出たので,書き記しておきたいと思います。
カサハラさん,自尊心が低いのだわ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
知ってたけど!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
でも同僚のひとの一言で再認!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
他人を信じていないんじゃなくて,
(自分は他人に覚えられていないんじゃないだろうか)とか
(どうせ覚えててもらえないだろう)とか
そう思ってるんだわ!!!発見!(ていうか再発見)
何かの約束に限らず,特に私は名前(を覚えられているか否かで存在を認知されているかがわかる)でそういうふうに思ってるんですが(そして昔同じようなことこの日記に書いてる),そういう一番低いところ、“覚えられてない”まで見積もっておけば,「予想外」にはならないからショックが小さくなる。傷つきを抑えられる。
そうやって無意識のうちに自己防衛しているんだわ~!!!
だから逆に,名前でもエピソードでも覚えててもらえると,すごく嬉しくなってしまう。コロリとなってしまう。笑
多分職業的にも,陽の下で仕事をしている(イメージの)学校の先生とかと違って私はひっそり生きていく職業で,こちらの存在を忘れてくれれば本望…という感じだから,余計そう思うんだろうな。
改めて自分が感じている自分の価値のなさにびっくりですよ。
昨年中学時代の心の友・花とゴハン食べたときに「カサハラには価値があるんだよ」と言われても,申し訳ないけど全く響かなかったのですが…やはりこれはある程度自発的に価値を見出さなければ意味がないと思うのです。
遅れてきて平謝りしている美容室の担当さんに対し,私は(人生ハプニングがつきものだな!)と思うと面白くなっちゃって「大丈夫ですよ,アハハ」とポジティブに声掛けしたのだけど,「でもいくら私がこう言っても,意味がないんでしょうね。」とも言ってしまった。でもそういうものだよね。
いくら周りが許したり,認めたりしても,自分が自分でそう思わなければ。いくら慰められても許せないものは許せないし,自分を肯定することができない。そういうものだよね。
自尊心が低いのは決して良いことではないけど,それを認識できて…なんというかよかった。自己理解が深まったという意味ではね。
「めっちゃ心広いですねカサハラさん」とも担当さんに言われました。
いや,なんかそうではなく…。
見方によっては,怒りを抑えたり,出さないようにしているのかもしれません。
私も自分で,鏡の中の自分を見ながら,(私怒ってないの?)って自問しましたが,怒り…というのは感じませんでした。
相手を攻撃したくないという気持ちももちろんあるかもしれませんが,どちらかというと(あぁ,やっぱり)みたいな…実験が予想通りだったときの「何もない感」に似ているのかも。
なんか長くなっちゃったのでこのへんにしますが,とにかく他人を信じることと自尊心の低さは全くの別物だという話です。思考(=「覚えててもらってないのでは」)が一緒だったとしても,その出発点は全くの別物。だという話です。
おしまい。
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