Thursday, February 18, 2016

今更ながら,飯田に行って感じたこと。

昨日のこと。大学に合格されたTwitterのフォロワーさんから,「夏の文化祭公演に来て下さってありがとうございました」というメッセージが来ました。今回のこの日記では,このフォロワーさんのことをやひろさんと呼びたいと思います。

やひろさんは私のツイートをやたらお気に入り登録してくれる,いわゆる“ふぁぼ魔”で,お会いしたこともないのにいつしか気になる存在になっていたのでした。笑

彼女は3年生。つまり文化祭公演=引退公演!
春の時点で既に北信のお芝居を観に行く予定でいたので,真逆のやひろさんの高校にも行ってみようと思い,縁もゆかりもない飯田エリアへおでかけしてみたのでした。


「私(カサハラ)は長野県出身でーす」とは言うものの,生まれは諏訪市,育ちは松本市。長野県の地図を広げると,とても狭い範囲で生きてきました。そして自分で言うのもなんですが,長野県の中では利便性は良い方で生きてきました。高校生でも自分の足で出かけられる範囲が,かなり広かった。小学校高学年から高1まで住んだ家は,歩けば10分でバス停があったし,そこから15分で松本駅に行くことができた。パルコも映画館も劇場も,自分が行こうと思えばいつでも行けて,刺激を享受することができた。

どこで育つかどこで暮らすかで生活は左右されるし,得られる資源が大きく変わることに,大学生になってから実感しました。東京の公共劇場でバイトするようになってからは,地域格差と同時に文化格差があることを激しく感じました。(その地域の小学生の芸術鑑賞が,劇場でプロのお芝居を観るやつでした。演出家は外国人。私は中学の芸術鑑賞は体育館でアマチュアの作品を観ていましたよ…。)


同じ長野県と言っても,やっぱり飯田は閉鎖的というか,そのエリアの中で世界が完結しているなということが実際に足を運んでみてよーくわかりました。好きで閉鎖的になっているわけではおそらくなくて,県外に出るにも県内の他のエリアに行くにもとにかく大変で,車がないと話にならない…という感じ。高校生が世界を広げるには,限界がある感じ。なので結果的に閉鎖的になってしまうのだろうなと思います。
松本とか長野と比べて,得られる資源や刺激は限られるのだろうなぁ。単純に地区大会で他校のお芝居を観ることが「外部(といっても同じエリアだから全然外部じゃないけど)からの刺激」だとしたら,松本や長野が10とか12校に対して,下伊那地区は4校とかですものね…。
本当に,飯田(下伊那)の,外との繋がりづらさには正直驚きました。

でもそれが,そこで育つ彼・彼女の全てだし,わかったところでどうにもできないのだけれど,煮詰まってしまうエリアにこそ風が吹いたらいいのにと,しみじみ思いました。
そういう意味で長野県の高校演劇はえらくて,ちゃんと県も関東もエリアで回してるのは素敵なことだなと思います。(たとえば新潟県開催の関東といえば決まってりゅーとぴあだし,埼玉県はさいたま芸術劇場ですよね)

私が高校の文化祭に出かけたことが風になったかはよくわからんですが,やひろさんの何らかの刺激になれていたら,足を運んでよかったなと思えます。

そのひとが生きる地域を知ることは,そのひとを知ることの一歩。飯田に出かけて,そんなことを改めて感じたのでした。



なーんかとってもまとまりがないというか,ヤマもオチもない日記でしたね…すみません…。笑
地元・長野県を知っているつもりで全然知らなかった,無知の知を実感できてよかったなーという,そんな日記です。
(似た内容ですが,文化祭直後に書いた日記はこちら。)

飯田市で撮ったお気に入り。線路って好きだ。飯田線はまさかの単線だったのだ。

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