いつかゆっくり,思うところを語りたいと考えていた,彼の芝居。
もしかしたらそれは今日かもしれないなぁなんて気がして,書くことにしました。
舞台作品にしろ,学術論文にしろ,そのひとがつくったものには思いがあるし,意図があるし,考えがある。
そういう,思いとか,なかなか可視化できないものには,「本人が自覚して織り込んでいるもの」もあれば,「本人も気づかなかった,でも滲み出ていたもの」があると思ってます。つまりは無意識の世界。
「彼」の芝居について語るとき,
フクザツで
難解で
一度観ただけではわからなくて
だけどどこか美しくて
そんな ことばが出てくる気がするんですが,
それは本人が狙って作ったところ。私も知ってるし,あなたも知ってる。
私が語りたいのは,もっと奥の部分。
私が知っていて,あなたが知らない部分。
いや,私が知っているなんてえらそうなことは言えない。あなたが知らないかなんて,私にはわからない。私が私のアンテナでキャッチしたものをただ伝えてみる。
ひとつでも話すことはできますが,いろいろ揃ったらよりはっきり見えるものの話をしたいと思います。
「彼」の作品の根底には,“母親”の存在があると思います。
母性じゃなくて,母親。
きっと彼は,母親に愛されたかったのではないかしら。
それが意識的なものでも,無意識なものでも。フロイトのいうエディプスコンプレックスを乗り越えられなかったひとなのかも。
そうでなかったら,あの作品のあのシーンはああならなかっただろうなって。
もしかしたら二者関係がうまく築けないひとなのかもしれない。
二者関係の最初は,「自分と母親」です。
そこで築いた対象関係は,他者との関係構築の基板になっていく。
うーん,うまく築けないというよりは,いつもどこかで“母親”を探しているのかもしれない。彼にとって,母親になりうる誰かを。
あぁー,そう考えると,「彼」と「彼の母親」との間には,何らかの外傷体験があるのかもしれないな。
たとえこいびとがいても,奥さんがいても,愛人がいたとしても,子どもがいても,誰にも埋められない穴を,持っているのだと思います。
……ということで,私は彼自身のことを源氏だと思っているのです。そして「彼」の作品の中にも,光る君が出てくる。世界の中で,母親になりうる誰かを探してる。そんなように思います。
だから彼の心の支えである“母親”が,支えでありつづけられますように。
No comments:
Post a Comment