「時間って劣化するクオリティだよ」
と,言われてから,
私にとっての時間とは何なのかを考える日々です。
ごきげんよう,カサハラです。
この人の,この言葉を受けてから自分なりに考えた末,私なりの結論は
「時間はご褒美と罰」。
多分「罰」の部分には“劣化するクオリティ”とやらを含んでいるのだろう。
友達でも家族でも好きな人でも,会える時間はご褒美。
何かによって苦しめられる時間は,罰。
だからもし大切な人や好きな人達が死んでしまって,私が取り残されてしまったら,
そこから先はずうっと罰の時間なのかもしれない。
“劣化するクオリティ”に対して私は,
「熟成にはならないの?」と聞いてみた。
相手はうーんと少し考えて,やっぱり劣化するクオリティなのだと言った。
「新しいものを取り入れないと,だめなんだよね」とも言っていた。
劣化というと,コピーのコピーを連想する。
ああ確かに,コピーしたものをコピーしたやつは,きれいじゃない。
家に帰って,そういえば熟成も腐ることも,結構似たようなもんだなと思った。
ワインになるか,ただの腐ったぶどう水になるか,
熟成肉になるか,ただの腐った肉になるか,
キムチになるか,ただのすっぱい白菜になるか,は,
ちょっとした湿度や管理の仕方によるんだろう。熟れるも腐るも連続体なのだ。
最近赤ちゃん2人に続けて会ったので,その子達と私を比べてみると,
果たして彼女達と私では,本当に私の方が劣化していると言えるのだろうか。
比較対象が極端なのだろうか。もうよくわからないぞ。
とりあえず,今こうして生きていてくれたら,それでいいのに。
劣化していくからって拒絶していたら,
死んだら,劣化もなんもないんだからねって。どうせいつか死ぬんだからねって。
今会えたり話せたりする「ご褒美」を,どうしてちゃんと味わおうとしないの。
そんなことを,考えたり。思い出したり。
今日の一枚。高3の県大会後,学校から帰れない時に撮った一枚。
「軟禁の早春賦」とタイトルをつけてmixiにupしたら先輩がほめてくれたな。笑
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