Thursday, February 1, 2007

京都で考えたこと~都会時間篇~

『邪魔なもの 涙と嘘 都会時間と 眼鏡曇らす 昨夜の吐息』

という歌詞が、GO!GO!7188の「月と甲羅」という曲の一部にあります。
中3のときに出会って以来だいすきな曲なのだけど、『都会時間』ってよくわからなかったんです。都会→忙しい、ってことなのかな。程度で。

ところが、京都で突然、感覚的につかめた気がしたの。



それは3泊4日の旅の最終日。おいしいものも食べて、あとは京都駅経由で深草(高速バスのインター)へ向かおうとしていたとき。



京都の地図って、碁盤の目のようになっているじゃないですか。

で、その前日にも金閣あたりから南禅寺に移動したわけですが、姉に「1時間くらいかかるよ」って言われたんです。
「えー、そんなにかかるかい?」って私は内心思っていたのですが、実際やっぱそれくらいかかって。

もっと近くにあるというか、もっと早く着くように感じたんだけどなあ。

そういえば10月に東京へ受験の旅に出たときも、多摩から新宿行くのに意外と時間かかったっけ。



でですね、お姉ちゃんちの最寄りのバス停から乗車し、45分くらいバスに揺られ、京都駅つきますよーっていう交差点でたくさんのバスが視界に入ったんです。
そしたら、「あ、これが都会時間か!」って。

・・・・よくわからないなぁ・・・。(´_`;)




わたし、時間は均一に流れてるものだと思ったんです。

キモチとして感じるものではなく、電波とか、NHKとか、目に見える時間が。

それは京都に住んでいようが、松本に住んでいようが東京だろうが変わらないだろうって。

でも街をかけめぐるバスだって、京都と松本では全く違う。
たとえ移動距離がおなじでも、時速が違うから、時間の使い方が均一じゃないというか。

松本駅から7分間上りの電車に乗ると、松本市のはずれ、村井駅ってとこに着くんですが、
新宿から同じ時間都営新宿線に乗っても、神保町までしか行けない。(日本武道館あるとこ)

東京だとみんなすたすた歩いていってしまうし、のろのろ歩いていたらキャッチにつかまってしまう。
わたしの速さで歩きたくても、きっと東京では通じないのだろうな、とか。

タチバナシンイチさんも、このぽっかり感に似たようなものを感じたんでしょうか・・・。

いつかわたしも、「都会時間」とやらに飲み込まれてしまうんでしょうか・・・。

ぬぬぅ・・・。


わたしが時間を使うのではなく
どこかで時間がわたしを使う

そんな感じ。
そんな「都会時間」。


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