最近は高校演劇における「高校生らしさ」について考えています。
きっかけは今年度の全国大会。NHKの「青春舞台」で観ました。例年どうなのかわかりませんが,創作が多いというのが演目を見た時の第一印象でした。(きっと例年そうなんですよね…?)
そんでもって,「青春舞台」では高校生達が評議委員みたいになって作品についてあれやこれや話している映像も入っていました。「高校生らしさ」についても触れられていたように感じました。
自分の中でやたら引っかかったので,そこから日々うっすら考えています。
とあるTwitterでは,「そんなものわかりっこない。ずっと前から考えられてきて,答えが出ないんだから」といったつぶやきも見られました。
…あーそっか,
と思ったんですが,
「いや果たしてそうか」と。
哲学というか,考えることが中途半端に好きな私としては思うわけです。
そしてある日お風呂に入っているとき,ふとひらめきました。
(答えに,ポジティブな表現を求めてるから出ないんじゃないの?)
(あと,「これです!」って限定された表現にするのは無理があるんじゃないの?)
でもって私なりの「高校生らしさとは何か」に答えが出たのでここで書き留めておきます。
それって…
「高校生が演じて浮かないか」
ってことなんじゃないの?
ど,どうですか…?
まずは「浮く」について考えてみたいと思います。
私が考える「浮く」には2つのパターンがあると考えます。
①設定が浮いている
②せりふが浮いている
①の「設定が浮いている」…とは,
高校生が舞台上で組んで表現できる世界観なのか,
高校生が表現できる年齢のキャラクターなのか…など。
ハード面っぽいもののことかなと思います。
たとえば?
「弥生時代」
「アフリカの貧しい農村」
「エルサレムをめぐる民族の争い」…とか?
「くたびれた中年のおじさん」
「10年くらい不倫してるお姉さん」
「闇の世界で生きている人」…とかとか?
ちょっと…むずかしいかも…しれないですよね。やる側も観る側も…。
「取り組むな!」というわけではもちろんないけど,メンバー間のイメージの共有・ふくらませ方は,かなりがんばらないとだろうなと思います。
たとえば16歳がドロドロの不倫劇をやってもおいおいリアリティないよって話になるし(そして共感されにくい),逆に「核の処理」なんて高校生の日常生活と離れた話題でも,それを高校生がやって浮かなければ「高校生らしい(レベルに落として、テーマを消化できている・しょうとしている)」として評価されるのかしら,なんて考えます。
あと,キャラクター設定の話になりますが,どう頑張ってもその年齢では表現できないものはあると思います。
それをカバーするのが演出なのかもしれませんが,そこを高校生に求めるのか?とも思ったり思わなかったり…。
②の「せりふが浮いている」…とは,
聞いていてイマイチ入ってこないなぁーと思うせりふ(これはかなり主観が入ります)。
ソフト面っぽいもののことかなと思います。
つまりどんなせりふ?
って考えたときに、小難しいことの説明とか,実感伴ってないよってせりふが挙げられると思います。
ハード面にも絡む話かもですが,たとえば専門用語バリバリに使われてると,それだけで置いていかれちゃうことってありますよね…(歴史モノとか時事問題とか社会問題とか,そういう類のもの)。
かといって,「じゃあ現代の身近な話ならいいのか!」という訳ではありません。もちろん。矛盾するようですが。してません。
あとは聞いていて生活経験の薄さ,未熟さ,未到達が感じられるようなせりふ。これもハードに絡むのだろうか…。演出の問題なのだろうか…。こっちは演出でカバーできる問題なの,かも…。
でもいくら高校生役の高校生が戦争の悲惨さを訴えても,それを自分のものにできていなければ「台本と演出家に読まされてるよね」ってなるだろうなぁ。
(注※念のため。生活経験の薄さや未熟さそのものは問題ではありません。それに気づいているか否かの問題。)
次に「浮かない」について考えてみたいと思います。
じゃあ「浮かない」「高校生らしい」=主人公は高校生(15~18歳相当の人物) なのか?となるかもしれませんが,
それはあまりにも安易で,また作品の幅が狭まります。確実に。
おじいさん・おばあさん役が出てくる高校演劇でも,素敵な舞台をたくさん見てきました。
あと余談で,かなり異例で,30代の主婦の方が出ている「高校」演劇も見たことがあります。通信制とか定時制のある学校だったので,現役女子高生。(リアル『35歳の高校生』…!)
そういう方が一人いらっしゃるだけで表現できることがかなり多くて,初めて拝見したときはすげーうらやましい!って思いました。笑
役も,その人がやっていたから合っていた。多分あれを15歳や17歳がやっても「浮く」わけです。
逆に30代の主婦の方は,高校生役をやってもおそらく浮くのです。
「浮かない」ことが、結果として高校生らしさ。
何をもって「浮かない」かは,きっと各カンパニー(各学校)で違うのだと思います(余談の通り…)。
自分達の強みを発見し,自覚することで,既成にしろ創作にしろ,合う作品に出会えるし,魅せられる作品に仕上げられるのだと思います。
ただし,「やりたいこと」と「評価されること」は別物で,評価を無視して「やりたいこと」をやり通せる強さがあるなら,それはそれで潔くてカッコイイと思ってます。
↑そんなこと言ったって人間よくばりで,どっちもほしいのが本音なのかなーとも思います。笑
バランスが…むずかしいですよね。(と,ざっくりした一言でぼやかすの術)
でも,顧問の趣味の創作を部員にぐいぐい押し付けるのは好きじゃない…。
あくまで部活は生徒のものであって,顧問のものじゃない…。
部員が納得した上でそれを選択するなら良いのだけど,年齢やカンパニーの中身を考えずに,ただ顧問がやりたいものだけを書くのなら,それは他で劇団を作ってやってくださいというのが私の本音です。高校生らしさもなんもあったもんじゃありません。…と,思っています。
ふぅ。長文になってしまいました。
ただでさえ考えをまとめるのがムズカシイひとなのに,こんなにたくさん書いてしまったよ…。
うまく伝わると良いのだけど。
でもって,今回だけでまとめきれた感じがしないので,また別の機会に関連したことを書きたいと思います。
普段はこういうこと書きませんが,ご意見などありましたらコメント欄からいただけると嬉しいです。立場や年齢が違えば考えもさまざまだと思うので,深められたら楽しいだろうなと思います。
おわり。